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2018-01-16 | お知らせ, ブログ

小豆島の年中行事「お日待ち会」

1月14日は毎年恒例の御日待ち会。通称「お日待ち」を常光寺で行いました。

小豆島の中ではお日待ちは、お寺で行う行事として行われます。夜に集まり、日の出を待って解散というのが本来の流れ。1・5.9月の14日から15日にかけて行うというのが一般的なようです。しかし、昨今、高齢者が多くなった地域では、夜に出ていく行事は人が集まらない等の理由で、15日の昼に開催するお寺もあります。

実際の内容としては、集まった人たちで飲食を共にし、夜通し楽しく語るというもので、宗教儀式ではありますが、そんなに畏まった風でもないのが特徴です。そして、お寺で行う割に、神様に対して行う宗教行事というのが面白いところでもあります。

小豆島では、仏と神の境界がとても緩やかで、これは仏事だからお寺!これは神事だから神社!と杓子定規に分けられないものがたくさんあります。明治時代にあった、廃仏毀釈という神社の地位を高め、お寺から切り離していった運動は、離島である小豆島では、それほど大きな影響を与えず、神仏習合の名残が今でもそこかしこに残っています。そのためか、12月に行われた師走経をはじめ、なぜに坊さんがやるのだろう?と首を傾げるものが多いです。

なので、他の地域のことは存じませんが、お日待をお寺で行うのも、小豆島なら納得という感じがします。

常光寺のお日待は、日の仏である「日天[にってん]」さまを灌頂(仏の世界から呼んできて)し、ご本尊としてお経や供物を捧げ、その前で護摩祈祷を行って礼拝します。

薬師堂に日天さまの軸を奉り、その前で護摩祈祷します

日天尊は、仏教ではあまり馴染みの無い仏様ではありますが、太陽を司る仏様で、お日待には相応しい仏様だと言えます。ちなみに日天さまに対し、月天[がってん]さまも居て、小豆島では行われていませんが「月待ち」という行事ではご本尊として奉られることもあるようです。

護摩の後、本堂でもお勤めを行い、ここであらためて新年の挨拶を行います。年が明けて14日が経過しているわけですが、西日本では15日までが松の内と言われ、それまでは年神様が各家にいらっしゃる、として正月の範疇に入るとされます。
最近は、三が日明けると、正月気分もどことやらですが、だいたい新学期が始まる8日くらいまでなんとなく正月という感じで、年賀状も新年の挨拶として届き、それ以降は寒中見舞いみたいな空気があります。しかし、本来で言えば、15日まではしっかり正月なんですね。

集まった檀家さんの前で住職が新年の挨拶

仏事と挨拶の後は、本来の?お日待という感じで、食事やお酒が振る舞われます。そこで、出席された皆さんがそれぞれに語り合い、ふだんと変わらない会話だったり、旧交を温めるなり、を檀家という縁の中で行います。気心が知れた仲間同士、和気あいあいといった調子です。

しばらくしてビンゴゲームが始まり、地元企業さまからの協賛や、お寺で購入したものが振る舞われます。この景品が中々どうして素晴らしく、お米10kg、5kgを筆頭に、醤油佃煮の詰め合わせがもれなく全員分あります。以前、祖母が存命の折、お日待は、11月に碁石山で行う柴燈護摩に、檀家のみなさんが協力してくれた恩返しで、お寺からのお接待の意味もあるんよ、と言ってたのを思い出します。

新年早々に、お米をゲットできた人は、今年は良いことあるぞ!と喜び、一人では歩くのもままならない年配の方でも、手押し車に載せて、必ず持ち帰ります。それもできない人は、家族を呼ぶなり、近所の人の助けを借りて、それもまた和やかで良い感じです。

そういう時間と関係を提供できるお日待の価値は高いなーと思います。年々、夜出ていくのが大変で、参加者が減っている行事ですが、易きに流れることなく続けていきたいです。

子供たちもビンゴの手伝いをしました

小さなお子さんも来てくれました

ゲームなんだけど、みなさん真剣

同時ビンゴのお米争奪戦はジャンケンで決めます

勝つジャンケンも負けが勝ちのジャンケンも強い妻、代役でお米ゲット!

2018-01-15 | お知らせ, ブログ

とんどをやりました

毎年恒例のとんど。地域によっていろんな呼び方がありますが、小豆島は共通して”とんど”です。

本坊の常光寺がある小豆島町苗羽(のうま)空条(そらんじょ)地区のとんどは、14日 早朝6時開始でした。

小豆島の中でも、旧池田町エリアなど、開催されない地区もあるようです。二十四の瞳の映画村がある田ノ浦地区など、観光客向けに日中行う場所もあります。

そういう点で、苗羽のとんどは、地元に根ざしたごくスタンダードな風習と言えると思います。

とんどの準備は年始の日曜日に行われるので、出仕できないことが多いのですが、山を開けて、お遍路さんの動きがないことを確認して、下山して少し手伝うことができました。

どこもそうですが、準備をする地元民がみな高齢化して、そのノウハウを私たち若輩世代が継承しておかないと、あっという間に廃れてしまいます。

その場に居た若い衆が、ごく僅かなことを考えると、短い時間でも自分が手伝うことが大事だと思います。地区の活動は何事も。

 

備忘録的に、準備作業の流れを書くと

① まっすぐのシャンとした背の高い杉を確保する(これがとんどのサイズを決める)

② 付け木として、乾燥させた笹を用意しておく(トロ箱も用意する)

③ ある程度の太さの竹とバベを軽トラ3杯分くらい採ってくる(青い生木)

④ 杉を中心に据え、竹を3本支えに、そえぞれを番線縛って、骨組みを作り、その周辺をバベの枝や竹で補強する。

⑤ 周辺は、枝打ちした竹で囲い、縄で縛る

⑥ 見栄えがするように、四方から枝や笹バランスを見て、形を整える

⑦ 正月飾りや古札を付けていく

⑧ 当日燃やし尽くす

生木や竹を入れるのは、パチパチ、パンパンと景気の良い音がなるから。とんどで燃えた灰は御利益があるとされ、風向きによって家に降り注ぐのも、掃除は大変なれど有り難いと感謝するべき。

年によって、お寺は灰まみれになったり、まったく落ちてこなかったりする。

今年は、同日の夜に「御日待ち」があるので、掃除が間に合うのか?がお寺の人間のもっぱらの懸念事項だった。

 

さて、迎えた当日の朝は、風も無く、寒すぎない、まさにとんど日和でした。

6時になって、「そろそろいこか〜」的な雰囲気で、みなが動き出し、ゆるやかに、徐に、点火され、見事な炎が上がりました。

毎年見るとんどなれど、なんかいつもメンバーで、知った顔の面々が、醸す雰囲気が心地良くて、自分もこの土地の一員にちょっとずつ成ってきてるんだな、というのを実感する。とんどに限らず、地域の年中行事の度に、それは思うというか、その土地に生きている実感というか、まぁ有り難いことです。

時間が経つにつれ、子供たちの姿も多くなり、お楽しみのお餅タイム。

各家それぞれに、餅の種類やサイズ、数、焼く網の形、土台の石、アルミホイル使う使わない、火箸、諸々が統一感無く、それでいて目的は同じというのがとても面白い。

大林家としては、正月の鏡餅が大量にあるので、最初何年かは大きな塊を大量に持ってきていたが、何もとんどで全て消費しなくてもいいことに気づいて、今年は小さく刻んだモノを極小量持ってくるようにしている。

あ、そうそう。とんどでお餅を食べるのは、とんどの炭で焼いたモノを口に入れるのもまた御利益があるとされるからで、餅に限らず、焼きみかんとかでも十分有り難い。餅さえ焼けば、子ども会の当番の方が、ぜんざいの汁を用意してくれており、それに入れれば、美味しい熱々のおしるこができあがる。

聞いた話によると、ぜんざいの汁が用意されず、各自餅を持ち帰って、家でおしるこにするところもあるらしいとか。それは面倒だし、その場で食べないと雰囲気でないやん!という苗羽の常識は、限られた特権だと知った。有り難い。

そんなわけで、今年も無事とんどを厳修することができ、無病息災の餅を家族で頬張ることができ、とんどの灰もほどほどにお寺に降り注いで、1年を安寧に乗り切ることができそうな気がしました。

2018-01-10 | お知らせ, ブログ

大人のおしゃれ手帖に紹介されました

場違いな感じがしないでもないですが、宝島社の『大人のおしゃれ手帖』に碁石山を紹介していただきました。

天海祐希さんと同じページに載りましたが、同じ空間に居ることはありませんでした(残念)。

(ここだけの話ですが、はじめ「大人のおしゃれ手帖」と聞いて、長いから「大人の」が抜けて「おしゃれ手帖」の取材だと思い込んでて、さらに勝手に『暮らしの手帖』だと想像して、「そうか、そうか、ついにあの雑誌に載る日が来たんだなぁ」と浮かれておりました。)

ちなみに、大人のがとれた「おしゃれ手帖」は、むかしサンデーで連載していた漫画ですね。実は単行本持っているほどのファンです。それなのに、暮らしの手帖を連想するとは・・・長尾謙一郞先生に申し訳ない。

だから、まさかこんなおしゃれーな誌面に載るとは思わなかったです。

内容は完全に大人の女性向けで、おしゃれなナイロンボストンバッグも付いてきて妻が喜んでおりました。小豆島の美しい写真もたくさん掲載されておりますので、是非お手にとってご覧下さい。

 

戌年に因むプチ法話

今年の干支は戌です。

碁石山では、正月にお参りの方には干支の切り絵をお接待しています。

 

さてさて、戌年ということで、毎年護摩の後のプチ法話として、干支にちなんだ話をします。

ワン!ダフルな一年に。とか、そういう語呂合わせ的な話をしてもいいのですが、で?じゃあ実際何をどうすればいいのよ?って話になるので、そういうのはヤメにして。

犬は私にとってとても身近な存在です。多くの人にとっても十二支の中で1番馴染み深い動物ではないでしょうか。

過去に犬を飼ったことは数度あり、今もお寺には犬がいます。

私がちょうど小豆島にやってくる1ヶ月前に拾われてきた雑種犬ですが、先輩には違いなので、ずっと散歩の世話をさせてもらっています。

だから犬を見ない日はありませんし、毎朝1番に顔を合わせるのは、ワンコであることが多いくらいです。

そんな身近な、手の届く、いつも側にある、当たり前の、特別ではない普通の存在、そこにフォーカスが当たっている年というのが”戌年”です。

だから、身近なこと、手の届くのこと、いつも側にあること、当たり前のこと、普通のこと、にフォーカスをあてましょう。

そうした何でもないことを疎かにせず、大切にする一年にしたいと思います。そして、そうした日常を、手抜きなく丁寧に繰り返すことで、気づけば「良い一年だったなぁ」とか「大きなことをやり遂げた」とか「諸願を成就していた」につながるように思います。

人間誰しも、助走の無い大ジャンプはできません。大きな目標を掲げたら、どこからか突風が吹いて、幸運に次ぐ幸運が続いて、出遭うはずの無い人に巡り会って、手に入るはずのない成功を収める、という風にはできていません。

大きな目標は、小さなことの繰り返しで達成される。

それを忘れず、念頭に置いて、忘れたら犬を見る度に思い出して、行動すれば、きっと素晴らしい1年になると思います。

2018-01-01 | お知らせ, ブログ

あけましておめでとうございます。

あけましておめでとうございます。

旧年中はお世話になりました。

年末、正月準備に明け暮れる中、救急車や消防車のサイレンがけたたましく鳴り、忙しない年の瀬を感じながら、もう一年が経つのか、と感慨に耽っておりました。

碁石山の堂守をするようになって9年目の今年、例年になく山を空けることが多く、毎年同じようにはいかないなぁと感じます。

いろんな理由がありますが、葬儀ができたので下山した、ということが多くなってきました。

年間200人移住者がやって来ると言われる小豆島ですが、それを足し算しても、年間500人減っていきます。

毎月の町広報誌のお悔やみ欄には、結婚と出産の10倍の名前が連なり、帰省者で賑わい、ふだんより一層かがやきを増す大晦日のまちの灯りも、今年は何か少ないように感じます。

そんなもの悲しい気持ちがある一方で、嬉しいこと、未来は明るいと感じることも、同じようにあるのが世の中で、人生です。

穏やかな気候の中、五体満足で新年を迎えられたことにまず感謝。

人が減ったとは言え、除夜の鐘を134人のご近所さん達と共有できて、新年の挨拶を普通に交わせたことに感謝。

家族が居て、屋根の下で、これから布団の中で寝られる幸せは、とても特別なことに違いありませんね。

そういう足りることに気づいて、できることから少しずつ、新しい年を歩んでいきたいと思います。

本年もどうぞよろしくお願い致します。

お参りできた日がお参り日和

年の瀬、寒くて参拝者が少ない時季ですが、お参りされる人もいます。

毎年決まってこの時季に来られる人も。

「もっと気候のいい時に来られたらいいんだけどね。仕事が忙しくて・・・」

そうですね。仕事じゃなくても、気候のいい時は、いろんな行事が重なるものです。特にお子様がいたらなおさら。

なので、そういう方にお約束のように言ってる言葉があります。

「春の桜が綺麗な暖かい日に、秋の紅葉が綺麗な気持ちの良い日に、できれば参拝したいものだ、とみなさん思うものですが、現実にはそうはなりません。私もそんな時に出ていけたらいいなぁといつも思っているのですが、遍路シーズンになるので、出て行けた試しがありません。他所の桜が観たい、紅葉が観たい、というのは小豆島の観光産業で働く人全員の願いかもしれません。」

「ですが、紅葉シーズンが終わって、冬に差し掛かると空気が澄んできて、瀬戸内の多島美が遠くの方まではっきり見えます。寒いからこそ身が引き締まって、特別な時にお参りできた感じがして、より一層心がこもります。今の時期にお参りするからこそ、忙しかった一年を振り返って、新しい気持ちで新年を迎える準備ができるんじゃないでしょうか。」

『お参りできた時がいちばんのお参り日和』はお遍路さん語録(勝手に命名)に登録されている格言です。

いつ何時お参りしても、心をポジティブに向ければ、幾らでも良さを発見できるし、その時、その仲間でしか気づくことのできない特別なタイミングであり、遠路はるばる海を渡って島の、山の札所に来られただけで特別過ぎる奇跡なんですよ、と。

逆に、夏の沖縄に行って、台風直撃ですごく寒かったら、とても損をしたように思えて、せっかく沖縄に来たのに腹が立つなー!みたいなことになってしまいかねません。(それも、台風の沖縄なんて中々体験できるものじゃない。ラッキー!と思えたらいいんですが) 期待値が高過ぎると満足レベルが上がってしまって、もっともっと求めてしまうというのは人間の悪しき習性ですね。

さらに、体験談を付け加えると、土日仕事で家族旅行などの外出が平日オンリー、しかも観光オフシーズンが多いと、特別なイベントは皆無ですが、どこに行っても空いているので、よく覚えてもらえ、現地の人とより親密になれます。それと同じく、年末は参拝者が少ないこともあって、来られた人のことは私もよく覚えてるんです。

まとめると、冬の寒い時期は、景色がいい、身が引き締まる=特別な気持ちでお参りできる、行くところ行くところの覚えがめでたい、食材が美味しい、などなどの理由でオススメです。

碁石山の名前の由来

どうして碁石山というのですか?

碁石が採れるのですか?

いや、残念ながら採れません。

名前の由来は、本堂の岩壁が、白い凝灰岩と、黒い溶岩石がミックスした岩肌で、その白と黒のコントラストがあたかも碁盤の目のようだ、というところから碁石山と名付けられました。小豆郡誌にも「洞の石壁は白黒の小片を散りばめ、ゆえに碁石山と名づくと」あります。

「いや、囲碁を嗜むので気になりまして」

という方が、1年に1回くらい「囲碁が強くなりますように」と護摩祈祷されます。

もし、その中から名人が出てきたら、囲碁の仏様が居る山、として売り出すことができるので、是非頑張って欲しい。囲碁をやる人で参拝したことのない人はモグリ、となればしめたもの。日本に限らず、世界中の囲碁ファンの聖地となって巡拝が絶えません。ウハウハです。それほど可能性を秘めた名前を持つ御山なんですよね。

中国発祥の囲碁が日本に伝わったのは7世紀ごろ。しかし、碁石が世の中に浸透するのは、室町時代になって武家が囲碁をするようになってからだと思います。どのタイミングで、碁石山と付いたのか定かではありませんが、よくぞ付けたと思う素敵な名前です。

そう言えば、小豆島の山は良い名前が多い。洞雲山、隼山、星ヶ城、寒霞渓(昔は神懸)、清滝山、大麻山、飯神山、佛谷山、皇踏山。どれも味のある由来を聞いてみたくなる名前ですね。

初めての人の歩き遍路行事「初遍路」やります!

小豆島遍路を普及させる活動をライフワークにしています。

これは生活のためでも、ビジネスのためでもあるので、取り立てて言うべきことでも、特別なことでもないです。

しかし、その一方で、お遍路企画をいろいろやる自分はなぜか目立つようです。島の中では。

なぜでしょう?

少し考えて結論を出してしまったのですが、小豆島遍路=小豆島八十八ヶ所霊場のこと=自分の寺のことではない、ということが珍しいようです。

たしかに、自分の寺の経営がままならなかったら、他のことをやってられないよね、と思います。でも、地域の世話人というか、地元の名士の方って、自分の店舗以外の業界のことや、産業全般、はたまた景観や自然保護など、やっていることは、多岐に及んでいます。どこからどこまでが仕事で、どこからが奉仕か、境界が定まっているわけではありません。

サラリーマンの人なら大抵思ってしまう「タイムカードを切って、給料が出る時間が仕事で、それ以外はサービス残業」という価値観で生きていない、ということです。自営業の人には当たり前の感覚でも、サラリーマン出身の身には、なかなかこの感覚が持てなかった。

お金は出ないけれど、道の草刈り、川掃除、自治会費を集金に行く、秋祭りで太鼓を担ぐ、のも仕事。私は入っておりませんが消防団の活動や、子供のPTA役員なんかも仕事ですね。食糧を調達するための田んぼ・畑、燃料を得るための薪作り、ももちろん仕事です。

これが小豆島の普通で田舎暮らしの常識、かと言えば、そうでもなく、地域の共同作業に全然出てこない人も大勢います。田舎だから地元の活動するのが当たり前。よそ者はその辺がなっとらん!という声高に言う人はいるけど、生粋の島っ子でもやらん人はやってないやん、というのが現実。

小豆島遍路のことを考える、実行する、というのは、どうもそういう普通じゃないことになるみたいです。

誤解して欲しくないのは、私以上に遍路道の草刈りを季節毎にやっていくれているお寺さんや、遍路宿、先達の方々、普通じゃ無い人はたくさんいます。尊敬と感謝しかありません。

だから、利害関係のある自分は、そこに心血を注ぐべきであるし、人生をかけて取り組むべき仕事だと思っています。

そう思わせてくれるものがあって良かった。シンプルにそう思います。小豆島遍路と、小豆島霊場は、本当に有り難く、誇らしい存在で、そこに堂々と関われるのは嬉しい。

 

と、前置きが長くなりました。そんな遍路の魅力に触れる入口の行事を企画しました。

その名も『初遍路』です。「初」だけあって、初めての人対象です。
初めての人に遍路のことや、小豆島遍路ならでは、のことを話そうといろいろ考えていると、とても楽しい。しかし、何度も遍路先達をやる内に初心の気持ちというのを忘れてしまっている自分に気づきます。果たして、話したいこと、伝えたいことと、初めての人が聞きたいことが合致するのか?

ふと我に返ってそんなに自信がないことに気づき、お遍路の歴史、小豆島遍路の成り立ちなぞを復習しています。それに加えて・・・

仏教徒じゃなくても信仰心なくてもいいの?

遍路備品はなくてもいいの?

どうして順番が坂手から始まるの?

小豆島の札所はなぜ順番通りでないの?

どうして札所を打つというの?

どうして鐘を打つの?

どうしてお寺に鳥居があるの?

神と仏のちがいって何?

お経の意味はわからなくてもいいの?

どうして大師堂がないの?

朱印には何の意味があるの?

どうして八十八なの?

思いついたことを現地でモノを見ながらいろいろ解説したいな、と思います。

興味のある方は是非ご参加ください。初めてじゃない人も歓迎です。

新イベント「初遍路」を開催します!

見習うべき姿勢

碁石山には年配のお遍路さんがよく来られますが、駐車場を下りて、鳥居をくぐり、百段以上の石段を登って下りて、かなりの体力が必要です。

そんな中、地元の齢93歳のお遍路さんが来られました。

よく来る人で、もともとは遍路宿で働かれていた馴染みの方なのですが、その元気ぶりに圧倒されます。

別でお参りに来られていた一段とご同行でお勤めして、後から年齢を聞いてびっくりされていました。

自分より年下と思った、とおっしゃられたご主人は80前。まだまだ自分にもやれることはあるなぁ、と思われたのか瞳に力が漲るように話を聞かれてました。

そのおしゃべりの中で、尚更驚いたことが2つ。

1つは、ついこの間般若心経の写経が1000巻達成できた。今日持ってきたのは917巻目だけど、今1024巻で、2000巻を目指している。
今のペースで書いていくと、ちょうど東京オリンピックの開幕日に重なる。と、ぶれた気配の無いしっかりとした字で、未来を語る姿が本当にお元気だったこと。

もう2つは、昨年の暮れから新しい趣味ができたそうで、それがなんとカラオケ。
『のど自慢』の高齢の方の歌声をテレビで聴いて、どれぐらいの声量が出ればいいのか、研究しながらそれまで1つしかなかったレパートリーが30を超えたそうです。

歳を重ねて、趣味が減っていく人が多い中、驚きです。

「兄貴が上に居るんで、まぁ100歳までは元気でおらな、あかんなぁ。」

私の知っている碁石山最高齢参拝者は、満100歳の女性なので、その記録更新を楽しみに待っています。

熟練お遍路さんでも、観光客でも、通じ合う感覚

今年の小豆島は紅葉が早くて、しかも例年より綺麗な様子です。

碁石山の楓も、今年は色づく前に散り始め、イマイチだなぁと思っていましたが、この数日であっという間に真っ赤に染まって美しく見えます。

そんな紅葉シーズンにはよくあることなのですが・・・

「大きな病を患い、もうお参りできないと思いましたが、また来ることができました」

という信心深い熟練のお遍路さんが来られた直ぐ後に、

「わぁ、何ここ洞窟じゃん。すごーい!」

とカメラをぶら下げて、きゃっきゃっ言いながら、本堂にやってくる観光の方。

お寺とは、天皇と乞食の両極の方が来られる場所、と師僧から教わったことがありますが、熟練お遍路と、一見観光客、という両極が来るのも、またお寺というものです。

わかっていても、交互に来られると、こちらも頭と口がついていかないものですが、面白いことに共通点があります。

「ここは、もともと単なる洞窟で、何も無かったところで、坐禅をしたり瞑想したり、そういう行者が修行地と使っていた場所です。そして、ここには、仏様がいらっしゃるに違いないと思う人が、本当に仏をお奉りして、お寺のようにしていったんですよ」

それほど言葉を尽くさなくても、場の持っている力というか、独特の雰囲気がそうさせるんでしょう。みなさん、一様に、何か自分より上の存在があるかのように感じ、自然と手を合わせられます。

その姿だけ見れば、共通して同じ立ち振る舞いになります。

日本人の精神性というのか、知らず知らず培われた宗教観というのか、何かよくわからないものでつながっているようです。

≪今年の四方指から寒霞渓の紅葉≫

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