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2016-01-24 | ブログ

穏やかな大寒波の日

恐れていた大寒波の日がやってきましたが、小豆島も碁石山も穏やかな冬の日を迎えております。

道は凍結すること無く、寒いですが日も差して穏やかな冬の日です。

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穏やかな内海湾

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小豆島霊場最高峰の清滝山も大丈夫そう

 

今日のところは安心して移動できそう。明日はわかりませんが。

 

昨日撒いた塩化カルシウムは、虚しく白い塊を路面に晒しています。

風で飛ばされていったものも多いみたいで、昨日の作業はハズレっぽい感じになってしまいました。

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溶けずに残っている塩化カルシウム

しかし、今晩から明日にかけても予断を許さない状況なので、引き続き山の警備隊として目を光らせたいと思います。

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うぅー 寒いっす。

 

2016-01-23 | ブログ

大寒波に備える

24日・25日、およそ40年ぶりの大寒波が西日本を襲う!

そんなニュースが流れてきたので、世間は戦々恐々という雰囲気で、お遍路さんも予定を変更して、22日や23日に山岳霊場をお参りされる人が多かったようです。

碁石山に、来られた方々も山陰の人が多かったので、お参りする場所ももちろんですが、地元に帰られるか心配される方もいらっしゃいました。

 

この時季、水が凍るのは当たり前、雪が降ることもボチボチあります。

 

でも、「雪が積もる」「道が凍結する」となることは滅多にないので、そういう日は予め準備というか、対策を施しておきます。

まず、雪が降って積もって、氷のようになってしまうと後処理が本当に大変なので、何年か前から塩を撒くことを覚えました。

事前に塩を撒いておけば、凍結を予防することができます。日本中の主要道路の大半が、なぜ凍結していないかというと、雪が降る前日や早朝に土木業者が塩を撒いてくれているからですね。

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普通に20kg入りの袋を持って、小さなスコップで撒いていたのですが、食塩は袋の状態でも、硬く塊になっているので、叩いて割ってという一手間を加えなければならず、本当に時間がかかってました。

妻が土木業者の娘ということもあって、いろいろ知識を得ると、道路用の塩化カルシウムがあり、それは固まらず、ほどよく散らばってくれるので作業効率が抜群に高まりました。

 

碁石山は標高が300mくらいの低山なのですが、林道は2kgほどで、海抜0mからググッと登ってくるので、傾斜が急です。少しでも凍結してしまうとノーマルタイヤでは危険になってきます。

そういう場所にピンポイントで3袋ほど塩化カルシウムを撒きました。

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今晩雪が降らなければ、この白い粉はずっと残ってしまうのですが、降るより降らない方が作業的には助かるので、少し複雑な心境です。

でも、そんな悠長なことが言ってられるのは、雪国じゃない平和ボケですね。穏やかな気候の小豆島は本当にいいところです。

 

さて、明朝の様子がどうなっていることでしょう?

撒いている内に日が落ちてきました

2016-01-21 | お知らせ, ブログ, 法話

島開き法会

21日は弘法大師空海の日。

そして、1年の初めの21日は、その日を境に小豆島八十八箇所霊場が改めてオープン!する日です。

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番傘が映えるお坊さんの後ろにお大師さまが運ばれています

なので、毎年1月21日は島開きと称して、地元ニュースとなります。

岡山から来る船に乗ってくる遍路団体を霊場寺院の住職たちがお出迎えし、土庄港から霊場会本院まで練り歩き、到着した本院で一緒にお勤めをするというのが一連の流れです。お練りは、山伏を先頭に、御詠歌隊、稚児、霊場寺院、お遍路さんの順番で、法螺を吹きながら、御詠歌を唱えながら、賑やかに行道します。例年寒いですが、子供たちも年輩の皆様も頑張りました。

 

この島開きに目がけて、島外からくるお遍路さんの数も増えてきます。

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山伏作法でお遍路さんを迎えます

面白いのが、お遍路さんの出身地の移り変わり。

 

寒い時季は山陰の島根・鳥取の方から、日本海側を北上して福井まで、3、4月になると兵庫の播州、但馬、最後が京都の方へと、毎年島開き〜5月ゴールデンウィーク明けにかけて、お遍路さんがやって来ます。

その土地土地の風習に合わせたお参りシーズンがあり、農地であれば集落まとめて農閑期である時期に、雪深い土地であれば南国へのバカンスも兼ねて、と。単なる信仰だけでない旅行の要素もお遍路にはあります。

最近は、地域毎のお遍路さんが減り、個人でのお参りが増えてきましたので、そうした傾向が薄らいできているのが寂しいところです。しかし、それも社会情勢の変化ですね。

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土庄港から御詠歌を詠唱しながら練り歩き

 

ちなみに記事タイトルに「法会(ほうえ)」と書いてますが、新聞記事などを見ると「法要(ほうよう)」となっていることが多いです。

専門的な話ですが、法要には「ニ箇の法要(にかのほうよう)」「四箇の法要(しかのほうよう)」というようなお経の種類というか、どんなお経を読むかというパターンがあり、法会はそれら法要をひっくるめた行事全体のことを指します。なので、島開き法会の中で、練り供養という法要を行っているという感じでしょうか。

更にいうと、「供養」という言葉も、死者を弔う・慰霊するという意味に限定されるのではなく、ある対象を敬い、奉仕するという意味合いがあります。島開きで練り供養するのは、弘法大師さまの霊を鎮魂しているのではなく、生きて遍路され霊場を回っているお大師さまに奉仕しているという意味があります。

何はともあれ、今年も無事に島開きが行われました。

毎年来られるお遍路さんのあの顔、あの顔にお会い出来るのが楽しみです。

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霊場会本院までおよそ1.5km歩きます

写真は、プロカメラマンの陶山さんが撮られたモノをいただきました。陶山さん、ありがとう。

2016-01-21 | ブログ

地球温暖化に関するとても私的な見解

碁石山に初雪が降りました。

風がビュンビュン吹いて、気温はマイナス3度。
体感はもっと寒いです。

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標高は300m足らずなのですが、冬場は海からの風が強く、水道から手水舎(ちょうずや)から、あらゆる水が凍ります。

こうした凍えるような自然を体感したときに、常々思うことがあります。

 

地球って本当に温暖化してるやろか?

 

以前からずっと疑問に思っていたことなので、個人的な考えを少し述べてみたいと思います。

まず、感覚というか自分の経験から・・・

昨年の11月、12月、そして今年の1月初旬と、非常に温かい日が続きました。
今年は、異常気象で、近年まれに見る暖冬だなぁ・・・って、挨拶のように話していましたね。

昨冬、2014年の話なんてもう忘れたと思いますが、小豆島では11月に雪が降り、夏から、秋をすっ飛ばしていきなり冬になったような寒い日が続きました。
その時もやっぱり「異常気象だ!」「本当に温暖化なのか?!」みたいに言ってました。
それが、2〜3月には冷え込まず、春を迎える頃には、寒い冬だったという印象はありませんでした。

人間の記憶なんていい加減なものです。

今年も、最初温かったぶん、2月頃にはガッと冷え込んだりして、4月の桜を迎える頃には、例年通りの冬だったなぁ、という感想になるような気がします。

では、世界的に見ると温暖化なのかどうか?

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地球温暖化が騒がれた2006年に『不都合な真実』という映画がありました。

元アメリカ副大統領のアル・ゴアがプレゼンテーションをするドキュメンタリー映画で、地球は温暖化しているという政府にとっては不都合な真実を、わかりやすい映像と説明で紹介する内容でした。

映画は大ヒットし、アカデミー賞を受賞して、彼自身も映画の前後の活動も評価され2007年にノーベル平和賞を受賞しました。考え得る最高の栄誉を得たわけですが、その後多方面から疑惑の声が上がります。

その映画の内容に対して、英高等法院が9つのウソがあるという判決を下しました。事実をよくよく検証してみたら、関連性がないんじゃないのか、ということです。

そして、2009年に「気候研究ユニット・メール流出事件」というのがあって、地球温暖化は一部の科学者によって改ざんされた人為的な陰謀である、という声があがりました。

しかし、公的な調査機関の調査によれば、メール流出事件は、地球温暖化 懐疑論者達による作為的な情報操作であり、地球温暖化は間違いなく進んでいる、という結論に至ります。

私は、当時映画館に観に行くほど、環境問題に関心があったので、映画を見てこれはヤバイ!と思い、その後のメール事件で、騙された!と憤り、飛び込んでくるニュースに右往左往しました。
メール流出事件は、クライメートゲート事件と呼ばれ、書籍にもなっています。

で、いろんな浮き沈みをしながら、結果として思ったことは・・・

地球温暖化は、省エネや二酸化炭素削減という、省エネ新製品の売上や国家間の取引の道具になるので、人為的な操作は絶えず行われ、ニュースとして伝わるものに意味はない

それと

地球温暖化に対して、個人レベルでできることは何もない

です。

『不都合な真実』の中に気温上昇グラフが出てきますが、地球の気温は上がり続けています。

こんな感じ。

しかし、

もっと長いスパン(過去2000年)で見るとこうなる。

最後に気温が跳ね上がっているけれど、その前の1600年頃は寒すぎて、この世の終わり感は壮絶なものだったと想像します。ルネッサンス期の絵画を見ると、凍るはずのないテムズ河でスケートしてたり、想像を絶する寒さだったんでしょうね。

それと比較するとそりゃ、温暖化ですわな。

さらに長くする(過去1万2000年)とこう。

地球の歴史はもっともっと長いです。

この流れを見て、私が思った仮説がこれ↓

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ジクウ流 地球の気温と影響力のある要素の相関図です。

個人がゴミ捨ての分別を頑張っても、企業が産業廃棄物を大量に出し続け、政府が海水が急激に温まる原発を推進したり、排ガスをまき散らすガソリン車を優遇し続ける以上、温暖化は防ぎようがない。

というか、そもそも人間活動が環境に与える影響なんて、ほとんど誤差の範囲で、実際は太陽の活動や、そこから派生する地球のさまざまな活動が、影響の主因なんじゃないかと。

科学技術が進歩する以前の1000年前や4000年以前の温度を見ると、そんな風にしか考えられないです。

人間なんて地球にとっては微々たる存在です。ましてや個人の影響なんて言わずもがな。

それでも、倫理観が働くので、ゴミの分別はしますし、エコを賛美する風潮に抗ったりしません。美しい自然をありのまま大切にできるなら、その流れは悪い風潮ではないですから。

 

温かければ素直にありがたいなーと思い、寒ければうぅぅぅー寒いなぁと我慢する。

克服するのではなく、そうした環境に順応するのが人間だと思います。

2016-01-18 | ブログ

ストレングス・ファインダーでわかった自分の強み

ストレングス・ファインダーとは

英語の「Strength Finder」で、強み測定装置みたいな訳がふさわしいでしょうか。

いわゆる心理テストで、Web上で受けることができます。

ストレングス・ファインダーを解説する本についてくるアクセスコードをWebサイトで打ち込めば、すぐにテストが始まります。

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私が買った本は「さあ、才能(じぶん)に目覚めようーあなたの5つの強みを見出し、活かす」というハードカバーの訳書。

「才能」と書いて「じぶん」と読ませるところがミソです。

 

これまで世に溢れる自己啓発本の類を、さんざん読んできて、この手の自分をやる気を誘発させる書籍のパターンというか、書いてることは全部似たり寄ったりで、役に立たない!と結論づけて久しい私ですが、この本はマジでおすすめです。

どうしてか?というのが、この書籍の訳者があとがきで書いているのがまんま当てはまります。

 

(中略)訳者が不実なことを言うようだが、読まず嫌いで、自己啓発書には、およそ自分で考えればだれにでもわかりそうなあたりまえのことしか書かれていないだろう、と勝手に思っていた。それでも、もてはやされるのは、おなじことでも言われる相手によって意味が変わるのと同様、あたりまえのことでも自分で考えるのと他人に言われるのとでは、やはり意味が異なるからだろう、ぐらいに思っていた。そんな考えが本書と本著者らの前作を読んで一変した。
 確かに、本書及び前二作のテーマ −欠点を克服するのに汲々とならず、一人ひとりが必ず持っている才能を磨いて強みにしろ、というのはことさら目新しい主張ではない。開拓精神とプラグマティズムの家元アメリカはもとより、自己責任、自己責任と、昨今はあらゆる分野で声高に言われる日本でも、当世流行りの考え方といっていい。それでも、「自分で考えればだれにでもわかりそうな当たり前のことしか書かれていない」などというのはどれほど不遜な物言いか、訳者は思い知らされた。

 

著者の思いつきと個人の経験則に基づいて書かれた感情的な本ではなく、膨大なデータを科学的に検証して提示してくる説得力にぐうの音も出ませんでした。

「そうか、そういうことか、なるほどなー、そこまでわかるか、はっはっはっ」てな感じです。

 

才能と聞けば、天賦の才を指し、凡人が持っていない特殊能力と思いがちですが、

この本で定義する才能は

「才能とは無意識に繰り返される思考・感情・行動パターン」であり、何ら「自慢すべきものではない」

としています。

要するに、「いつも他人と競争して打ち負かしてやろう!」とする性分や、「無責任な人を見るとイライラする」性格も、無意識に繰り返される思考パターンで、才能です。

こういうの誰だって持ってますよね。

そういう自分の癖を、はっきり確認して、その上でそれを「無くそう」とか「抑えよう」とかするのではなく、「活かそう」というのがストレングス・ファインダーの目的です。

 

テストはけっこうなボリュームで30分くらいかかるので、誰にも邪魔されない早朝とかにやるといいかも。

才能の種類は34種類あって、テストによって上位5つがわかります。

その5つがまったく同じになる確率は3300万分の1らしいので、自分の資質のタイプがカテゴライズされる一方で、その組み合わせによって誰とも似ていない個人と認識できるのは、人間心理と人間性そのものを示しているのでとても腑に落ちました。

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ちなみに私の才能というやつは<原点思考><学習欲><着想><責任感><回復志向>と出ました。

自分でも驚いたのが、<原点思考>と<回復志向>で、説明されると凄く納得するんだけど、それが自分の行動パターンになっているとは思っていなかったので、目から鱗でした。

 

いやはや、新年のスタートに己をより深く知れたのは、何ものにも代え難い収穫ですね。

これでやることを定めれば、ただ達成できるだけでなく、その精度も上がりそうです。

自分には、どんぴしゃシックリきたので、妻用にもう一冊本を買いました。

ストレングス・リーダーシップ―さあ、リーダーの才能に目覚めよう」は、上で紹介した本のどうやら続編で、Amazonのレビューによると前著を包括する内容らしいので、テストのアクセスコードが付いてくるし、こちらだけ買うのが正解かもしれません。

今年ちょっと大きなプロジェクトをやる予定なのですが、そのチームメンバーにも買ってやろうかな・・・と思うぐらいはまりました。盲目的に書いてあることを信仰する、というのとは違って、今まで何となく考えていたことが、つながった!という感覚なので、この結果を一つの指標に生きていこう、とする自分がいるのは確かです。

もちろん、人によっては納得いかないなぁ、という人もいるでしょう。しかし、その結果は人の尊厳を傷つけるものでは決してないので、試して損はないと思います。そして、自分の欠点が気になって、それを克服しないと停滞した現状を打破できない!と思い悩んでいるような人には、特にオススメですね。

それにしても、2000円近くする安からぬ本をプレゼントしたくなるなんて、始めての経験ですよ♪

 

作者の続編も、評価が高いので、はまった人は読むといいかもしれません。

最高の成果を生み出す 6つのステップ』ストレングス・ファインダーの結果をどう実践するか。

最高のリーダー、マネジャーがいつも考えているたったひとつのこと』リーダーとマネージャーの違いがわかるらしい。

 

2016-01-18 | ブログ, 動画

香川県の動画

おはようございます。

動画マニアの慈空です。

実はわたくし、動画が好きでして、撮るのも観るのも、僧侶の中ではたぶんトップレベルにやっている方だと思います。私が坊さんの世界で誇れるとしたらそれくらいです。

で、最近香川県の動画が充実してきたなーという印象を持ってます。

 

え?なになに?香川県で動画にするようなコンテンツあるの?

 

そう思った貴方。その感覚は普通です。たぶん。

香川の期待値の低さって、これまた全国トップレベルですわ。

日本一小さな県だから、何か探している内に通り過ぎてしまいそう、と思われてる。

唯一、知名度が高いのがうどん。それだけは間違いなく全国区で、日本一うまい。

それ以外に何が?年配の人には二十四の瞳の小豆島はまぁまぁメジャー。若い子には直島金刀比羅宮さんはギリギリ?四国遍路に興味があれば善通寺。といったレパートリーでしょうか。

でも、期待値の低い分、来たらびっくりするほど楽しめると思いますよ。仏生山温泉とか、栗林公園とか、世界最高峰だと思うし、飯も美味しい。何と行っても瀬戸内の多島美が絶景ですわ。

四国全体で楽しむなら、徳島も愛媛も高知も個性があって、尚面白いでっせ。

これから紹介する動画で、小豆島&香川県にはまってください。

まず、香川県観光協会がつくった「極上休日」シリーズが秀逸。どれも、ドローン(無人飛行機)やタイムラプス(コマ撮り)を駆使した美しい映像と適度な音楽で見飽きません。

 

小豆島「極上のロマンチック」

直島「極上のクリエイティブ」

豊島「極上の癒しの時間」

男木島「極上のノスタルジック

女木島「極上の風が吹く

高松港「さぁ、極上の時間と空間へ

 

県がつくった「愛にきてうどん県」も、世代を重ねる毎にぶっ飛んできて、ここまでやれば清々しいという内容のものになってます。

 

島で行われた自転車イベント「ツールドニッポン小豆島2015」の動画を観ると絶対に小豆島を自転車で回りたくなる(Tour de Nippon in Shodoshima 2015)

 

俺もそろそろドローン買わないとなぁ、と思ってしまう島のドローン屋Cubic-ttの「島空撮」

 

前回の瀬戸芸の時に開催された坂手港発のツアーのPRムービー。碁石山と私もちょっと出演してます。

 

というわけでいかがだったでしょうか?

映像で観ると、すごく美しくて、楽しそうに思いませんか?

でも、美しさは実際見るとその3倍。いや5倍は感動すると思いますよ。たとえ4K動画でも、3000万画素以上のフルサイズカメラで撮っても、現実の美しさにはてんで適いません。

心が動かされたそこの貴方!一度来んさい、小豆島&香川県!!

2016-01-17 | ブログ

大般若法会

「大般若法会」読めますか?

「だいはんにゃほうえ」と読みます。

仏教の言葉とか、意味とか難しいものが多いですね。

特に、勤め人でふだんお寺との関わりが薄い若い世代にとって、仏教はとてもわかりにくいものだと思います。

お寺に行って、坊さんが南無南無拝むのは、いったい何をしているのだろう?何の意味があるのだろう?とよく聞かれます。

そんなことを言うヤツは、知識がない、常識が無い、と思われるかもしれませんが、かく言う私がそうでしたので、何も恥ずかしいことはないと思います。当たり前の疑問です。

なので、当時の私でもわかるように簡単に説明すると、読経は経典に書かれている仏様の教えを、修行した僧侶が声を上げて唱えることで、仏様による直接の説法となり有り難い御利益を授かる、という意味があります。たとえ、その意味がわからなくても(日本語では無いことがほとんどなのでわからなくて当然です)、聞くだけで十分意味があると。

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これだけ聞いて「なるほどそうなのか!わかった!!」となった人は、極めて珍しい感覚の持ち主だと思います。

「ふーんそうなん・・・あたしには関係ないわ」、というのが普通の感覚でしょう。

なぜなら心が開かれず、求めていない状態では、何か新しいことが入ったり、変化する余地など無いからです。

人が感動するときは、よほど心が動いている状態で、外的要因によってそれを起こす場合は、よほどの衝撃を与えねばなりません。

お坊さんの話が面白くて、ためになったわー、有り難かったわーと思う人は、既に自分がそれを求め、心を解放しれている状態だからです。

心が固く閉ざされている人に対して、大きな外的衝撃となり得るものは、やはり体験を通して得たものだと思います。

頭ではなく、身体で感じるわかりやすさは、よりダイレクトに入ってきやすいので、私が歩き遍路が好きなのもその理由の一つです。小難しいことを言わなくても、体験を通して、参拝することの意味であるとか、読経することの気持ち良さであるとか、仏の教えに通じる入口が広く開かれています。

お遍路した先の札所で護摩祈祷をするのも、そうした体感のわかりやすさを求めるからですね。護摩は、火を焚いて祈りを捧げる特別な空間を作り出すことで、被験者を完全に日常から切り離し、シラフではいられない強い外的衝撃を与えてくれます。

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作法は違いますが、大般若もそうした体験を通してわかりやすい祈りの一つです。

 

そう、今回は大般若の話です。

毎度、前置きが非常に長くなるのは、私がくどい人間である、というのも否めませんが、ちゃんと理解するためには、前提を押さえておかないとミスリードしてもったいない、と思う老婆心からです。

大般若法会は、略して大般若と呼ばれます。

大般若をざっくり説明すると、(ふだん大人しい)僧侶が大声で

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「だーいはんにゃぁぁぁぁぁ!!!」

と叫びながら、経典をバラバラと大きく広げて読み、読み終わると机やら畳やらにバンッ!と叩きつけて(経典が傷むのでしない人や宗派もあり)、次の巻を読むという流れです。

その経典をバラバラと流し読みするのを転読(てんどく)と言い、それによって起こる風は「般若の梵風(ぼんぷう)」と呼ばれ、受けると般若菩薩の功徳があるとされます。

予備知識がなく、その場にいたらビックリすると思います。大般若経典は600巻もあるので、全部転読するには相当な数の僧侶が必要です。独りですることはまずありません。大人数で行うから大音響になり、ビックリします。

そして、大きな経典で、肩や背中を叩かれて仏様の力を授かります。

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どうですか?わかりやすいでしょう。

 

大般若はエネルギッシュで、直接的なお勤めなので、誰にとっても刺激的です。

恐いもの見たさで見学だけしに来た人も、叩いてもらえるなら叩いてもらいたい、という心理が働くと思います。

仏教やお寺に馴染みのない人には、本来の意味とか、まずはこうあるべきとか、そういう座学はまず置いておいて、見てわかりやすい&体感できる祈りが効果的なので、そういう活動こそ多めにやっていきたいです。

幸い、15日に、片城地区(近所)の極楽寺さんが、御日待ちの法会として大般若をしてくれたので、出仕して叫ぶ機会に恵まれました。

30代、40代の若手のお寺さんばかりが、10人集まって大合唱したので、聞いてる方もやっている方も、気持ち良かったと思います。私は気持ち良かったです。

小豆島という田舎の離島ですが、高野山や善通寺で本格的な修行をされた坊さんばかりだったので、練り込まれた声がピターッと合って、本山にも負けないとても良い法会になったと思います。

ウチの檀家さんにも、味わってもらう機会をいずれは作りたいなと思った大般若でした。

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2016-01-16 | ブログ

御日待ち

みなさんの住んでいる地域に御日待ちという行事はあるでしょうか。

御日待ちは「おひまち」と読み、文字通り日=太陽を待つ行事です。

小豆島の場合、その多くは14日の日没から15日の日没までの「小正月」にかけて行います。

元旦から15日までは、正月の松飾り(門松など)を飾っておく「松の内」にあたり、その15日を境に、正月が明け、日常に戻るというタイミングになります。「小正月」も「松の内」も正月の区切りという点では同じですね。

なので、御日待ちはそうした一年のスタートの朝日を皆で夜通し迎えて、本格的な活動を始めるターニングポイントだとされてきました。

小豆島ではありませんw

小豆島ではありませんw

「されてきました」という書き方をしてますが、常光寺のその近隣では、現役バリバリの考え方です。ただ、全国的には風化しつつある気がします。

その一番の理由は、15日が成人の日ではなくなったことです。

先ほどの背景を踏まえると、成人式も新しい門出となる境目なので、正月が終わり、その年が本格的に始まる15日が相応しいわけです。11日に荒神社で行われた「とんど」も15日にするのがそれまでの風習で、松の内が終わる日に正月飾りを燃やすのは、非常に理に適っている話なのです。

こうした歴史的な理由を無視して、慣習を現代人の都合に合わせることを平気でやってしまう世の流れには、大きな反論を唱えたいですね。私たちの祖先が何を大切にし、残してきたか、その足跡を消す行為の積み重ねが、祖国に対するアイデンティティを失わせ、自分たちを客観的にとらえられなくなっている主因だと気づかねばなりません。(この話は、また後日掘り下げて書きたいと思います)

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話が大きく脱線しました。

今日は、御日待ちの話です。

御日待ちはお寺の行事で、日天(にってん)と呼ばれる太陽を司る仏様をお奉りし、お勤めをします。

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お勤めの仕方は、お寺によってさまざまですが、常光寺の場合は、日天さまの前で護摩祈祷を行って、家内安全や身体健康、先祖供養をお祈りします。檀家の皆さんが大勢やって来て、護摩堂に15人ずつくらい入って、順繰りに読経・礼拝します。それが、終わって本堂でまたお勤め、住職が法話をした後、懇親の宴を行うのが通例です。

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今年も例年通りの流れでした。

正月の陽気は何とやらで、寒い寒い夜の行事は、年配の檀家さんには堪えます。それでも、みなさん足を運んでくれるのは有り難い。その目的の大部分は懇親会のビンゴ大会の景品にあるのかもしれませんが(笑)

ビンゴの景品には誰もが喜ぶお米が出てきます。10kg、5kg、2kgたくさん当たります。ハズレといっても佃煮やうどんつゆが数点入った袋がもらえるので、実質ハズレ無しです。

ビンゴ大会の景品の数々

ビンゴ大会の景品の数々

檀家さんがお寺に来られると、自ずとお供えを持ってきてくれる人が多いのですが、常光寺の御日待ちには、晩ご飯を食べに来るついでに、仏様に1年の安泰を祈願できて、景品を持って帰れるという、寺からいつもお世話になっている檀家のみなさんへ御礼の想いを形にした行事なので、たくさんの方に参加していただきたいな、と思っています。

酒が入って、よそよそしい空気もなくなって、「お寺はもっとこうせなアカンで!」と忌憚ない意見をくれるのは有り難いし、「最近どうよ?」ってのをゆっくり膝をつき合わせて話せるのも、貴重な機会です。

毎年行われる恒例の行事ですが、それが今年もできたっていうのは、嬉しいことですね。

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2016-01-15 | ブログ, 法話

僧呂とシステムエンジニアの共通点

自己紹介で、私の前職がシステムエンジニア(以下SE)ということを書きました。

続・続自己紹介

僧呂とSE。一見何の関連性もないような仕事ですが、実は共通点がたくさんあるよ、というエントリーです。

昔家にあったサーバー

昔家にあったサーバー

坊主になる前から、小豆島は、都市部にくらべあれやこれやのインフラが整備されていないことが多いと思ったので、コンピューターの知識は役に立つだろうな、と予想していました。

結果は予想通りで、専門的なことでなくても、ネット通販の仕方、ヤフオクなど個人売買のノウハウ、海外個人輸入の経験をはじめ、チラシ・年賀状などのビジュアライズな紙媒体からビジネス文書・案内状等のお堅い紙媒体の作成、家庭内LANのストレージやプリンタの共有に、デジカメ・ICレコーダー・スマホ等のガジェットの知識に至るまで、日々の生活で役立つことは目白押しです。

そもそも、社会人経験がなければ難儀したであろう、メール、電話応対、或いはいろんなタイプとの人付き合いといった一般常識も当たり前に役立ってます。

常光寺や碁石山のWebサイトもなかったので、昔取った杵柄で作りました。

 

レンタルサーバーの引っ越しから得たもの

昨年の話。Webサイトのレンタルサーバーを引っ越しして、Webサイトをリニューアルしました。

はじめ常光寺のWebサイトは、小豆島に来てから、レンタルサーバーを契約し、iWeb(Appleが昔作っていたホームページ作成ソフト)で6年前に作ったものでした。しかし、この長らく運用していたレンタルサーバーから「11月末でサービスを終了するので、各自移行作業をしてください」という通知が8月末に来ました。

利用していたのはサーバーカウボーイという激安のサーバーサービスで、電話窓口はなく、トラブルシューティングのメール問合せもレスポンスが遅い、安かろう悪かろうの業者でした。

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しかし、そんなサービスの中に、「常光寺のWebサイト」と、「歩き遍路通信てくてく」という歩き遍路情報Webマガジンのデータをすべて放り込んでいたので、困りました。それぞれ独自ドメインも取得してサーバーカウボーイで管理していたので、その移行もしなければなりません。

調べると、私と同様にサーバーサービスの引っ越しを余儀なくされた難民が

「8万円かけてサーバー移行をしました」

とかブログで報告しているのを見ました。

おいおい、マジかよ・・・です。

とりあえず、サーバーカウボーイに、データ移行の基本的なやり方を問い合わせましたが・・・梨のつぶて。

覚悟を決めて、データベースやら、WordPressの仕様やらを調べて、こんな感じかな、オラオラ!と2〜3日かけて、ガッツリやったら、完璧に移行を完了することができました。

もうすっかり風化した化石電脳でしたが、何とかなるものです。

40歳という区切りを前にして、この壁を突破できたのは自分にとっては大きかったように思います。

思い返すと大した壁ではなかったのですが、自分が心底やりたくなくて、向き合いたくない問題に、真正面から向き合って思うようにできた、というのはやはり大きなことでした。

お金をケチらず有料業者と契約していれば、やらなくてよかったはずの面倒な作業ですが、そのお陰で今一度デジタル脳と向き合うきっかけをもらいました。自分の取り柄、武器、埃をかぶっていたソレに今一度光をあてて、磨いていくことを忘れてはいけないなぁ、と改めて。

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一生勉強

SEにしろ、僧呂にしろ、知らない知識を勉強することによって取得し、できる技術を増やして、やりたいことをやる。という基本スタンスはまったく同じです。

それが、SEは最新のものに限るが、僧呂の場合は新しいものだけでなく、過去の文献も対象になる、というだけの違いです。

人が進歩を止めない限り、新しい技術はどんどん出てくるので、ITに携わる人間なら、逐一それに反応して、興味をもって、調べて、買って、試して、把握する姿勢が求められます。そしてそれは生涯続きます。一生勉強です。

同様に、僧呂も「俺、勉強しまくったし、なんでもわかるし、悟った!」というようなものではありません。それを口にする坊主はすべからく生臭(なまぐさ)です。

一生勉強。教義を理論的に研究する教相(きょうそう)と、身体を使った修行など実践的な事相(じそう)のいずれの分野でも、これで十分!という限界はありません。一つの真理のようなものに行き着いたら、「本当にそうか?」と問い直して再構築していくのが坊さんの素養です。

修業時代に、師僧が言ってた言葉を思い出します。

「下座(げざ)って何や?」

下座とは、広い意味では掃除のことなのですが、坊主がわざわざ下座というには、単なるものを片付け綺麗に整頓する、だけでなく掃除を通した修行の一つとなります。下座行という言い方をします。

仏さまに対するお勤めといえば、読経することがまず思い浮かぶと思いますが、それだけが、仏に帰依する行いではなく、身体を使った下座行や五体投地のような礼拝行も同じくお勤めの一つです。

上の質問に私は即座に答えられなかったので、

「わかりません」

と言いました。すると

「そうか。わかったら言いに来い」

と宿題になりました。何が求められている答えなんだろう?と数日考えて答えに行きました。

「この世の全てのものは大日如来の変わり身なので、下座行で床や柱を拭いて磨くことは、仏さまを磨くということではないでしょうか」

この答えには、真言密教の教えで、この世の全ての物質は大日如来が変化した姿で、もとは同じであり、変化しないものはなく、今見えているのは仮の姿である、という前提があります。(このことは後日詳述)

これに対する師僧の返答は

「そうか。もっと考えろ」

でした。

正直、正しい答えなんてあるのか〜?と思いましたが、またしばらく考えているうちに、あぁこれは考え続けることが大事なのであって、一つの解に行き着いたとしても、それに執着してとらわれていけない。世の中の事象は立場や見方によって、姿・形・役割・存在理由がさまざま変わっていくのだから当然だ、と気づきました。

果たしてその解釈が求められる質問の回答が否かは、それ以後は返答しに行かなかったのでわかりません。でも、学校教育や職場で、問題には正解というものがあり、それは不変である!という刷り込みに慣らされていた自分には大きな気づきでした。

人間関係を考えたら正解なんてないのに、それを教えないから子供たちは悩み苦しむのに、学校はそうだよな、職場もそうだよな、と昔を思い出しました。

SEの仕事はデジタルな1か0かの世界のことが大半なので、正解のない問いに思い悩むことは少ないですが、一生勉強で、その姿勢を忘れてしまったら、必要とされなくなるのは僧呂と同じです。

IT分野の仕事も決して嫌いな仕事ではなかったので、その世界にどっぷり浸かって楽しんでいた自分には、僧呂の仕事も向いているのかもしれません。わからないこと、知らないことだらけなので、できなかったことができる喜びを感じながらやっていきたいですね。

サラリーマン時代の私

サラリーマン時代の私

 

2016-01-14 | ブログ

続・続自己紹介

自己紹介の続きです。

前回(続・自己紹介)

前々回(あらためて自己紹介)

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人生何事も無駄なものは無い

と言われます。

僧侶になる前は、システムエンジニア(以下SE)というコンピューターを専門にする仕事をしていました。

お経、袈裟、数珠、坊主頭、衣、寺、信仰・・・

ノートパソコン、ハードディスク、プログラミング、システム開発、サーバー、データセンター・・・

思いつく単語を並べても、共通点は少なそうで、潰しが利かない転業の代表のように思われます。

しかし、似ていることや補い合えることもいっぱいあって、僧呂とSEの組み合わせは最強なのではないか、とすら感じています。(細かくは後日書きます

専門的なことでなくても、ネット通販の選び方、ヤフオクなど個人売買のノウハウ、海外個人輸入の経験など、日々の生活で役立つことは、SE時代に息を吸うように行っていた何でも無い所作です。

昨年レンタルサーバーを引っ越した時も、業者に高額な金を払って移行作業を依頼せずともできましたし、いろんな面で節約につながっています。

で、そのレンタルサーバーの引っ越し、ブログの新設を行った際に、40を迎える自分がこれからどう生きていくか、ということを考えました。

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40歳を前に自分がこれからどう生きていくか考えた

どうしてそのタイミングかと言うと・・・

過去のWebサイトやブログは正直ほったらかしで、そこに時間も労力もかける気がありませんでした。疎かにしようと思って作ったわけではなかったのですが、他のことの優先順位に比べて明らかに低かった。しかし、あえてリニューアルするからには、そこにしっかりウェイトを置いて、やっていかないとそれこそ無駄でしかないと思ったからです。

だから、これまで培ってきたデジタルな自分と、僧呂としての小豆島で生きるアナログな自分の立ち位置について、改めて考えました。

まぁ、デジタルな自分といっても、Webサイトの管理とブログの更新をどうするか、ってのがほぼ全てですが、ブログに関しては、碁石山と常光寺と歩き遍路通信てくてくと小豆島クリエイティブという4つを管理していて、常光寺は妻に委ねているので、実質は3つ。しかし、そのどれも疎かになってます。

仕事があり、子育てがあり、地域の活動があり、僧呂以外の会や活動があり、写真や動画などの趣味があり、それで手一杯。と決めてかかっていたのですが、本当にそうなのか?と。

仕事とプライベートと趣味。それらをどうバランスとって、何をあきらめ何を選ぶか?という発想にとらわれていました。

考えれば考えるほど・・・

つまらん

やりたいなら全部やったらええやん。やっていくうちに、続かないものはやりたくないことだろうと割り切ることにします。

自己満足の陶酔だったら、やりたい、やりたくないの前に、やめておいた方がいいと思うけど、必要だけど他にやる人がいないこと。自分がやればその需要に応えられ、人の役に立てることならやる価値はあるだろうと思います。

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欲深さを否定しない

要は欲深いのだろうと思います。

欲深いヤツ=煩悩の塊=坊さんの真逆にある者

というのが一般常識です。その点からすると一番まずいヤツです。

でも、その欲深さが、自分の中で完結していなければいいのではないか。

欲は欲でも一番良くない欲のことを我欲(がよく)と呼び、これは即ち煩悩と同義でしょう。別名、私利私欲ですね。

逆に欲の中でも大欲(たいよく)と呼ばれる、悟りを求める心は、仏教では否定されません。すなわち欲=悪ではないわけです。

とは言え、人間我欲を捨て去ることはとても難しい。我欲の中には子孫を残したいとか、食欲や睡眠欲、生理的な欲まで含むわけなので、人間の存在理由に抗う側面も持ちます。

なので、私のような未熟者は、他人の需要に自己の欲をくっつけて実現してしまおうと考えました。自己完結な欲が我欲であれば、誰かと共有できる欲にしよう!ということです。自分以外の少なくとも一人がハッピーにならない欲は捨てる。

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いろんな活動の原動力

移住者と地域をつなぐ活動をライフワークとして行っています。

もともと私も大阪から移住してきた身で、苦労してきたことが多々あったので、移住者に関する需要のいくつかを誰もケアしていないことを経験して知っていました。

それを誰もやらないので、自分が奉仕としてやってあげよう!と言うわけではなく・・・小豆島に面白い人が増えて欲しい。その面白い連中と真っ先に知り合いになれたら嬉しい。教えてもらえることも多いだろうし、その家族がウチの妻や子供と仲良くなってくれたらもの凄く嬉しいし、子供の数が増えるだけでも嬉しい。

情けは人のためならず。その人が地域の一員になって、地元を豊かにしてくれたら、巡り巡って間違いなく自分に返ってくる。田舎はそれが特にわかりやすいのでやり甲斐があります。

自己犠牲の精神で「やってあげる」意識だと、疲れるし、お金もらわんとやってられんわー!と長続きしないのが目に見えている。何事も自分事にしないと、無責任だし、楽しくありません。

この考え方は自分のベースにあって、いろんな活動の原動力になっています。

究極はすべて自分ごと。それをしっかり認識した上で、自分のためなんだけど、他人の喜びや需要と共存していることが大事。人は人に認められたり、評価されることが一番心の反応が大きいのだから、自分ごとをやって自己完結するよりも、他の人も喜んでくれたら尚嬉しいわけです。要はその快感の虜になってしまったのかもしれませんが、その欲を否定せず、ちょっとはマシな方向へ導いてやらないと逆にストレスになるし、卑しくもあります。

30代になって、坊主になって、自分にスポットが当たらなくても、多少の持ち出しや協賛という名の物品の提供が発生したとしても、家に帰って淹れ立てのコーヒーをすすりながら、人知れず「ヨシッ!」と喜べる夜を過ごせるおっさんになってきました。40代に突入しても、しばらくはそんな感じであれたらいいな、と思います。

 

3回にわたってお届けした自己紹介(なのか?!)シリーズも今回で終わりです。

久しぶりに自己を振り返って書くというのは、恥ずかしいようで、自己分析にもなっていいですね。というか、文字に書き起こす効果を早くも感じ始めています。

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