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2019-06-25

パワースポット?!

最近小豆島随一と言われる夏至観音

まず初めに申しておきますと、パワースポットは、ついこないだ辞書登録された新語なので、ここで書く全ては、この新語の黎明期における一論になります。

それを踏まえてぶっちゃけると、パワースポットをありがたがる近年の風潮は、一過性のブームなので、早晩廃れるように思います。

パワースポット巡りという言葉がキャッチーなので、ビジネス目的で使われて市民権を得ましたが、より受ける方向へ流され変化しているので、言葉自体がいつまで経っても定まらず、いずれ使い捨てられると思います。
それはみんなわかった上で、でも流行に乗らない手はない。各地の観光協会も、旅行代理店も、神社仏閣さえも、よくわからないままに波に乗っているわけです。

「○×出版ですが、今度香川県のパワースポット巡りという特集で、碁石山を載せたいと思うのですが、写真を2・3点送ってくれますか?・・・・私はそちらに行ったことがありませんので、ええ、いただけますと有り難いです。そうそう崖のお地蔵さまの・・・不動明王?ああソッチです。」

パワースポット認定の流れはこんな感じです。
言葉悪いですが、これで「香川県 パワースポット」で検索した鴨がひっかかって、ネギ背負ってやって来ます。

実際、本当にやって来てくれるので、私はパワースポット大歓迎派です。
神仏の有り難みを考えないスタンプラリー的なパワースポット巡りは許せない!なんて微塵も思いません。
今まで届かなかった層にリーチする魔法の検索ワード「パワースポット」素晴らしい!と思います。

しかし、そうして来てくれた方に、

「ここはパワースポットですか?」

「パワースポットなんですよね?」

と聞かれることがあります。

パワースポットの恩恵にあやかるために、パワースポットと言われた場所に来たのに、そこがパワースポットがどうかもわからない。

そもそもパワースポットの定義ってなんぞや?

Wikipediaによれば

「地球に点在する特別な場のこと。エネルギースポット。気場」
らしい。

でも、この意味でパワースポットをとらえている人ってどれくらいるんでしょうかねぇ。

神仏の力を感じる場所。
自分が癒される場所。
なんとなくパワーを得られる場所。

くらいが、感覚的に市民権を得ている「パワースポット」なんじゃないだろうか。

と、なれば、〇〇神社、〇〇寺、〇〇の大木、〇〇の大岩、〇〇の滝なんてのに加えて、庭の桜の木の下や、近所の公園のブランコ、自宅の縁側なんかもパワースポットに成り得る可能性が出てきます。
ここが1番気持ちいいんだよ。安らぐんだよ。また行きたくなるんよね。
そんな場所は、わざわざ遠出しなくても、日常に溢れています。
もし、自宅の庭の桜の木の下を、まったく見ず知らずの他人に勧めたとしたら、その他人は、そこがパワースポットだと思わないでしょう。

「居心地の悪い他の家の庭の何でも無いただの桜の木の下。日陰がちょっと涼しくて、風の通りがいいけれど、そんな場所その辺にいくらでもあるし・・・むしろ、ここからは愛犬が車にはねられた忌まわしき交差点が一望にできる。陰鬱な思い出を呼び起こしてしまう。パワースポットどころか、マイナススポットだよ。」

なんてまったく逆の感覚になるかもしれません。

パワースポットの定義にいくつか注文をつけるとしたら、まず「その人にとって」という縛りは必須です。

要するに万人受けするパワースポットはありません。
だから、他人のすすめるパワースポットが、自分にとってのパワースポットかどうかなんて、わかりません。わかりませんので、「ここはパワースポットですか?」と疑問に思って、確認しなければならないような場所は、貴方にとってパワースポットでもなんでもない、ということです。

そこに来た瞬間に、受け入れられている感じがする。気持ちが良い。相性がいい。そんな場所。

お遍路をしていると、八十八ヶ所というたくさんの札所を巡ります。
どこもかしこも、神仏が身近にあり、多くの人の気を集めるスポットで、歴史や謂われがたくさんあります。
でも、人によって「またお参りしたいなぁ」と思う札所はバラバラで、私はあそこが好き、あそこはイマイチ。なんか嫌な感じがした。恐かった。寒かった。そんなふうに評価が分かれます。
実際、私が好きな札所を、人にすすめても、たぶん自分にしかわからないと思うので、安易におすすめはしませんね。

今まで、伊勢神宮、出雲大社、戸隠神社、靖国神社、京都御所、浅草寺、熊野古道、高野山、大峰山、石鎚山、パワースポットと呼ばれる代表的な場所を訪れてきましたが、好きと思うところもあれば、二度と行かないでいいな、と思う場所もあります。

また、パワースポットの要素には、場の力だけじゃなくて、人の影響も多分にあると思います。

良い場所なんだけど、必ず嫌な人がいる。
そんな場所が元気を授けてくれるとは思えません。

逆に、気持ちのいい場所に、人が集まって、みんな活発に動いている。エネルギッシュな場所。
そういう場所はパワースポットになり得ます。
ニューヨークのタイムズスクエアに行った時に、マントルのコアのように、人のエネルギーがぐつぐつしていて、はじめてパワースポットという言葉を意識した覚えがありました。

パワースポットは移り変わる。

これは、石鎚山に登っている時に感じたことですが、標高2000m級の山なので天気が目まぐるしく変わり、雨、晴れ、雨と来て、また晴れた時に、休憩した場所が、木漏れ日が温かくて、ピンポイントで風の通るとても気持ちの良い場所でした。
そこに居た誰もが、ここは竜穴(風水の山脈が流れる気が集中する場所)でパワースポットだ、と感じたと思います。
しかし、次の年は、天候が安定していたので、その場所を通ってもパワースポットを意識することはありませんでした。

この地点から半径10mがパワースポット!という固定化されたものではなく、天候や、人や、その人の内面など、環境によって流動することがある、というのもパワースポットには当てはまる要素なんだと思います。

最後に、掃除が行き届いている清潔な場所であればいいと思います。
良い場所なんだけど、常に汚れている。気持ち悪い。臭う。
パワーがもらえるけど臭い。吐き気がする。
そんな場所はパワースポットたり得ません。

碁石山がパワースポットと呼んでいただけるなら、そこにいる人(=私)によってマイナスを感じないことと、気持ち良く参拝できるように、最低限掃除をしておく。
というのが、大切なことなので、そこは気をつけたいところです。

宝生院のシンパクも必ずパワースポットと言われる

まとめると、
・パワースポットは流行り言葉なので、定義があいまいで、人によって解釈がまちまち。
・人によってそこがパワースポットだ!という感覚もバラバラなので、万人に共通するパワースポットなんてありません。
・パワースポットは、貴方にとってのみ特別な場所なので、貴方自身の感覚で見つけ出して、大切に保全してください。
・他人から教わる必要もなければ、教える必要もありません。
・そこにいる人や自分の環境によって、パワースポットは移り変わります。
・近場であればあるほど、パワーを得られる機会が多くなるので、なるべく近場で見つけるのがお得。

おまけ

パワースポットは新語ですが、もともとの言葉は、

霊験あらたかな場所

になるかと思います。「霊験あらたか」は、神仏の効験が明らかに表れるさま。とされます。
”神仏”という縛りがありますので、日常的な自宅の縁側なんかは、本来含まれないのかもしれません。
もし、自宅の縁側が、亡くなったお婆さんがよく日向ぼっこをしていて、そこで昼寝をすると必ずお婆さんが表れて戒められる、なんて場所だったら、ご先祖様の霊験がある場所扱いで、別ですが。

文中にも出てきますが、風水でいう

竜穴

というのも、パワースポットの別名であるように思います。
竜脈に沿って山脈を流れる気が集中する場所。繁栄をもたらす吉祥の地とされ、都市・寺社・家屋などが建設された。(コトバンクより)

お寺や神社って、その土地の1番災害が少ない場所に建っていることが多いです。
水の通り道になっておらず、地震などの被害も少なかった地盤がしっかりした一等地が選ばれますので、いかにもパワースポットっぽいです。

あと

ゼロ磁場

という概念も知っておいた方がいいでしょう。

ゼロ磁場は、その地点では、方位磁石のN極とS極がせめぎ合って、どこも差さないという稀有な土地です。
ゼロ磁場は昔から好んで寺社仏閣が建立された場所で、伊勢神宮や諏訪大社、高野山もゼロ磁場にあるとされます。
私の知人のお坊さんでも、そうした例に倣ってゼロ磁場にお寺を創ったという方がいました。

こうして見るとパワースポットという言葉は、縁起の良い場所を分類する1番ざっくりとした括りなのかもしれませんね。

行くと必ずいい気持ちで帰られる銚子渓はお気に入りのパワースポット
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