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【法話】坊主として気をつけている3つの誓い その2

高野山で尊敬する師僧に教えられたこと。

在家から仏門に入り感じたこと。

日々お遍路さん、檀家さんと接して感じたこと。

 

それらを自分の中に落とし込んで3つの誓い、即ち自分なりの「戒」を持っています。

 

  1. 仏様の前に立たない
  2. 仏様にしわ寄せをしない
  3. 暇な人でいる

今回はその2つめについて書きます。

仏様にしわ寄せをしない

これは、高野山に居るときにきつーく師僧に言われた言葉です。

その方は、「堕落した坊主ほど、この世の中に要らないものはない」とも言ってました。

そう言い切るためには己を律して、尊敬される振る舞いをしなければなりません。そう言い切る人に出会えただけでも坊主になった甲斐があったというものです。

さて、

「仏様にしわ寄せをしない」というのは、自分のことを優先して、仏様を蔑ろにする、ということです。

私が言われたシチュエーションを再現します。

高野山で修行している間、時間に関してはとてもシビアでした。1分で用意しろ、3分でかたづけろ、5分後に自室(寮の3階)で衣に着替えて戻って来い、自由時間はほとんど無く、トイレをゆっくりできることは夜くらいで、常に衣を振り乱しダッシュしているか、小走りでした。

そんな中で、自分が行法[ぎょうぼう](密教の修行をすること)する檀の仏具をピカピカに磨いておかねばなりません。

「仏具は信心を表す」

とされ、仏具が汚れていると、心も汚れている、と言われました。

真鍮でできた蝋燭立てや三鈷杵や金剛盤などの仏具は、2〜3日経てば、輝きを失ってきます。とは言え、坊さんでない人、高野山の修行僧でなければ、わからないくらいの微妙な劣化なんですが、修行道場の閉鎖された空間においては、「かなり汚れている=さぼっている」と思わせるものがありました。

そして言われるわけです。

「お前の信心はそんなものか!お前そんなんでええんか!」

殺し文句です。衆人環視の環境でそう言われるのはとても恥ずかしかった。

だから、時間をやりくりして仏具を磨くわけです。四度加行[しどけぎょう]という修行期間中は朝の行法が4時からでしたので、3時に起きて、磨くわけです。朝早いのは辛いけれど、夜は9時消灯厳守だったので、自由時間は朝しかありません。

夜9時に寝るなら朝3時に起きても、6時間寝てるから十分やん。と思うかもしれませんが、まぁ9時に寝ることはありませんし、休日があるわけでもないので、寝だめすることも適わず、ピカピカの仏具を維持するのは体力勝負。精神力との闘い。自分では限界と思えるまで頑張るのですが、身体も心も付いてきません。

自分は限界まで頑張った。その姿は仏様も見て下さっている。許してくれるよ。慈愛に満ち溢れた仏様なら。

と思います。

思わせてくれよ、と願います。

それで実際、天罰が下るわけではありません。仏様はとても優しい御方です。

しかし、自分で許す許されるを決めてしまうと、どこまででもゆるく、易きに流れてしまいます。

仏具を磨けていないばかりか、行法の後にある朝勤行や夕勤行でもウトウト居眠りをし出します。

自分の中で甘えを許せば歯止めが利きません。

仏様が許してくれるなら何でもアリです。

そして

「仏様にしわ寄せをするな。堕落した坊主になるな!」

怒られました。

磨く前の花瓶。あっという間に光沢を失うのは試されているのかと思います。

 


高野山の修行期間が終わって、娑婆に戻ってくると・・・

毎日なんだかんだ忙しい。時間が無い。お金が無い。身体の調子が悪い。子供が居るから。〇〇でしょうがない。

やらない理由はいつでもいくらでもあります。

だから、朝勤行をしなくてもいい。

だから、お寺を留守にしても仕方がない。

だから、仏具は磨く時間はない。

物事に優先順位をつけていくと、仏様のことを後回しにするのが、手っ取り早い。

仏様にしわ寄せをしても、仏様は怒らないし、お金も請求しないし、他人に文句も言われない。

一番後回しにしやすいんです。

 

しかし、そこがお坊さんと一般人の分かれ目だな、とも思います。

 

誤解を恐れず書くと、お坊さんって、仕事ではなく、ライフスタイルだと思います。

自分に戒をもって、それに従って、背筋を伸ばして生きる人がお坊さん。

葬儀をしたり、法事をしたりするのは、僧侶という職業で、それ自体は単なる仕事です。

けれど、生き方としてのお坊さんは、尊敬されるので、敬語を使われ、大切に扱われる。

お坊さんだから、葬儀をしてもらいたい。法事に来て話をして欲しい。となります。

 

仏様にしわ寄せをするか、しないか、それを決めるのは自分だけです。

言い換えれば、自分に甘いか?弱い自分に負ける人か?覚悟が無い奴か?が問われていると思います。

仏様にしわ寄せをしない。

この言葉は、修行道場を卒業してから、年々自分の中で大きくなってます。

人間、喉元過ぎればなんとやら。

修行を終えた1年目、2年目は、そんなことを思い出すまでもなく、やる気に満ちあふれて、仏様にために一生懸命です。

それが、3年、5年、8年と経ってくると、自然とやる気が漲ってくるなんてことはありません。自分で気にしておかないと、心に留めておかないと忘れてしまいます。

周りのお寺さんを見渡しても、「当時はそんなんだったなー」と修行期間は若い頃の一瞬の突風だったかのようで、そんな特別期間はあくまで修行の間だけの話。といった風です。

 

せっかく選んで飛び込んだ坊主の世界。

ただの仕事で終わらせるには失礼だし、もったいないとしみじみ思います。

綺麗なお花を入れておくのも大事ですね。

【法話】坊主として気をつけている3つの誓い その1

高野山で尊敬する師僧に教えられたこと。

在家から仏門に入り感じたこと。

日々お遍路さん、檀家さんと接して感じたこと。

 

それらを自分の中に落とし込んで3つの誓い、即ち自分なりの「戒」を持っています。

サラッと3つ書きますね。

 

  1. 仏様の前に立たない
  2. 仏様にしわ寄せをしない
  3. 暇な人でいる

3回のエントリーに分けて1つずつ順に書いていきたいと思います。

1.仏様の前に立たない

物理的に仏様の前に、直立不動で立つな、ということではありません。

仏の前に立つとは、「この仏様に会いたければ、このお寺に参りたければ、俺の機嫌を損ねるな」という考えを持つことです。

仏様のことを考えるよりも、自分の考えを優先する、ということです。

これでは、仏様とお坊さんの主従関係が逆転してしまいます。

常に自分のフィルターを通さないと気が済まない。仏様あるいはお寺を、私物化するお坊さんってよくお見かけします。

お寺で生まれ育って、そこが自分の家だという認識が強い人は、お寺は自分もしくは家族の所有物だという考えを持ってしまうことがあります。

住職はお寺という宗教法人の代表ですが、法人なので、あくまでお寺は法人のものです。

法人の役員には、檀家総代や寺族、法類(同宗・同派に属し,密接な関係にある寺院または僧侶)といった人がいます。

その意志や総意で決まったことならともかく、

個人的に気に食わない奴はお寺の敷居を跨がせない、とか。

自分本位の理由によって参拝方法や参拝時間を制限する、とか。

歴代の人たちが大事にしてきたものを蔑ろにしたり、檀家さん達の要望を無視したり、参拝者の便利を考えなかったり。

ただし、防犯上のことや、お寺が存続していくためにコストや労力と天秤にかけて、やむを得ない場合は、仕方ありません。

たとえば・・・

東京の大都会のど真ん中で、いつも開放されたお寺であれば、セキュリティ上、施錠したり、セコムを入れたり、参拝方法に制約が必要でしょう。

国宝や重要文化財を抱える京都のお寺であれば、維持費もかかるので、拝観料や拝観時間の制限が欠かせませんね。

でも、たいていは大した理由もなく、その時の住職やお坊さんの考え方一つでダメだったり、よかったり、するんです。


人には相性がありますので、私も苦手な人や、理解しにくい人が来た場合、同じ空間に居たくなくなることがあります。

例えば、まったく無言で、気づいた時には、お堂の中を熱心に写真撮影している人がおりました。

声をかけると無視して、自分の世界に入っている。

撮影の許可なく、ご本尊にもカメラを向け、挙げ句フラッシュを焚いてパシャパシャ。

流石に、それはダメだと言って、気まずくなったその人はそそくさと出て行きました。

おそらく、私の表情はこわばり、嫌悪感がプンプン出ていたと思います。

私自身、写真を撮るのは好きなので、カメラを持ってお寺に出かけ、よく撮影します。しかし、撮影禁止の貼り紙がしてあれば、コッソリ隠し撮りしたりはしません。

理由が書いてない場合でも

「撮影してインターネットなどに公開されてしまうと、直接足を運んで来てもらう価値が下がる」と考えているからだろうと想像します。あるいは「貴重なものが、大したセキュリティなく置かれている様を見て、盗人がやってくるのを防ぐ」ためと考えます。

実際、テレビの『開運!なんでも鑑定団』で放映されたばかりに盗難にあった美術館があったり、小豆島の貴重な草花も、愛好者がブログに載せたばっかりに、業者が根こそぎ採っていった、という前例がありました。

私が、上記のカメラマンに苦言を呈した理由は、お寺の雰囲気は、そのお寺を作った人、護持してきた人によって大切に保たれ、空間デザインやライティングも含めて、その仏様の威厳を醸している。そこにまったく配慮せず、とりあえず俺がそこに行った!が優先されてしまうとマイナスの広報になると考えるからです。

坊主になる前のインターネット黎明期に、碁石山を参拝された方のブログをいくつか拝見しましたが、どれもフラッシュを煌々とご本尊に浴びせ、場の雰囲気をまったく感じさせないケバケバしい場所として紹介されていました。

勘違いして欲しくないのは、写真を撮られること自体は良いんです。紹介してくれたら有り難いです。いい広報になります。写真の上手い下手も問いません。

写真では伝わりにくい静謐で荘厳な空間

だからお願いしているのは、「ご本尊にむけてフラッシュは焚かないでください」「他に参拝されている方がいたら配慮してください」ということだけです。

それを伝える前に、自分の意志が赴くままに、環境を考慮しない人は、他にお参りしている人がいたら、いい被写体があったと嬉々としてシャッターボタンを押すでしょう。

それを許していたら、お寺は気持ちのいい空間として、参拝する魅力を失ってしまいます。


こんなこともありました。

岡山の某サッカークラブの選手が合宿で小豆島88ヶ所の霊場を巡っていました。トレーニングも兼ねてジャージやユニフォームを着て、走ってやってきました。その様子を撮影しようとカメラクルーも同行していました。

ワイワイガヤガヤとお堂に入ってきて、仏様に手を合わせるでもなく、「疲れたー」とか「ここ何?洞窟?」みたいな会話をして、その間カメラは回っています。しばらく見てましたが、こちらの存在に気づいても、居ない風です。

そのまま出ていこうとしたので、来た理由と、どうしてカメラを回しているのかを問い、碁石山の説明を簡単にしました。

おそらく彼らにはとても面倒くさい坊主に思えたでしょう。誰も居なければ好きに振る舞えたのに、なんだアイツ、そんな気配も感じました。

いくつかの集団がバラバラに来たので、選手の中にはご本尊の前で手を合わせて行く人もいました。こちらに話しかけて解説を求める人もいました。

そんな人ばかりだったら、私も煙たがられなかったと思いますし、来てくれて有り難いとしか思えませんので、「ようお参りです。お茶のお接待どうぞ〜」くらいのサービス精神を発揮したと思いますが、ファーストインプレッションはお互いに良くなかったです。


過去に碁石山の堂守をしていた方で、よくお遍路さんと喧嘩するお坊さんがいました。

「あの人は苦手だった」「ここで護摩を焚くことはなかった」と、お参りされている方から直接言われることがありました。価値観を押しつける人、人を選ぶ人、それゆえに苦言と同様に「あの人はよかった」「こんなことを言ってくれた」との賛辞もありました。

参拝されるお遍路さんにも、当然偏りがあって、言葉のキツい人や、信仰の形が独特な人、狡猾な人、バックマージンを求める人、さまざまいらっしゃいます。どちらか一方が悪いなんてことはこの世の中にありません。ですが、いかなる理由があろうとも、そのお寺に足が向かない理由が人であってはならないと思います。

仏様の前に立つ人には、何事においても自分本位の性根が存在します。それは、坊主としてだけでなく、人としてどうなのか、にもつながる大きな問題です。そこをなおざりにして、喧嘩両成敗にしてはならないと考えます。


ただ、それも私の独自ルールで、参拝方法の押しつけだと言われれば、そうかもしれません。

なので他人に押しつけることではなく、自分への戒として保っておくことが大切だと考えています。

忘れてはいけないことは、自分は仏様に使われる身で、そのお下がりで食べさせてもらっているということ。

その事務局あるいはマネージャーのような存在が、意志を持ち、いただいた崇敬の念を上へ通すことなく、自分フィルターで選別して、自己満足を優先してはならない、ということ。

たまたま、縁あって、この時代に、この仏様の守をさせてもらっているだけで、自分の所有物でもなければ、その役目が自分でなくても構わないことを忘れてはいけない。

そんな権限は私にはまったくないのです。

お坊さんはどんな若輩者であっても、敬語を使われたり、尊敬を集めることがあるので、ふとすると自分の役割を忘れてしまいそうになります。

かく言う私も、気づけば仏様の前に立とうとしてしまいます。在家(一般の家)で育ち、ついこないだまで参拝する側にいたのに。

環境は人を変えます。

だから、自分自身の戒めとして、特別意識して、携えておかなければならない大事な誓いです。

 

2018-02-12 | ブログ, 法話, 護摩祈祷

【法話】お坊さんが解説する「祈祷」の役割

未来の住職塾という超党派のお坊さんの集まりに参加した、というのを先日書きました。

未来の住職塾を受講しました(2018年1月19日)

 

そこで、浄土真宗のお坊さんから次のような質問されました。

「”祈祷”って何なの?どういう意味があるの?」

お坊さんが、お坊さんに向かって質問する内容として、一般の方からすると「へっ?」と思うような質問かもしれません。

でも、実は特別なことではないのです。

まず、この記事を書いている私は、真言宗の僧侶で、真言宗では「護摩祈祷」をよく行います。

見たことがある人が多いと思いますが、「護摩」は、火を焚いて祈る行為です。

もっと詳しく書くと、不動明王という仏様の前で、さまざまな願い事を護摩木に書いて、それを火の中にくべて燃やし、仏様に聞いてもらい、願い事が達成されるように祈る修法です。

さまざまな願い事というのは、「家内安全」「身体健康」「病気平癒」「入試合格」「安産成就」「厄難消滅」といった祈願から「先祖供養」「水子供養」といった死者を弔う追善まで、本当にさまざまです。

私の場合は、ご本尊が浪切不動明王さま、ということで、祈祷=護摩になりますが、それ以外にも「祈祷」の修法はたくさんあります。

他の宗派のことは詳しくは存じませんが、天台宗も真言宗と同じ密教の要素を取り入れた祈祷を行います。日蓮宗は、密教系とは毛色が異なりますが、木剣という法具をカチカチ鳴らして行う祈祷が有名ですね。

しかし、浄土真宗ではまったく「祈祷」をしません。そして、祈祷を行わないことが仏教の開祖お釈迦様の教えに忠実だとされます。

事実、お釈迦様の教えは、神秘性が全くなく、「原因があるから結果がある」(因果応報)というシンプルな教えです。そこには、見えざる仏の手や奇跡といったものは皆無です。(釈迦仏教については後日詳しく書きたいと思います)

仏教=祈祷ではないので、浄土真宗のお坊さんからすれば、祈祷のようないかがわしい詐欺行為をするのは金儲け以外の何ものでも無い。と思っている人がおそらく多くて、宗派の教義としても、そう習うのだろうと思います。

 

極端な事例を出しますと・・・

たとえば、大学の合格祈願をしました。すると後は寝ていても、試験会場に仏様が行ってくれて、代わりに100点をとってくれて合格できる。

まぁ、そんなわけありませんよね。

実際には、合格祈願の祈祷をしました。しかし不合格でした。ということが往々にして起こります。

すると、「詐欺だ!」「あそこの仏様は御利益ゼロ!」「全然パワーが無いから行く価値なし!!」と言う人が出てきます。

こうした場合の祈祷の意味を考えてみましょう。


祈祷は何を与えてくれるものなのか?

入試の場合、合格するのは、試験を受ける人です。寝ていたのに試験を受けて合格していた、というような奇跡、あるいは神秘性は、そもそも仏教にはありません。祈祷する人でさえ可能性が0%だと思っていることを祈祷しても意味はないのです。

大学入試のような人生を左右する岐路に立ったとき、私たちは往々にして、不安になるものです。「落ちる」とか「滑る」とか禁句になり、それを見守る家族まで、緊張した空気を醸してしまいます。

そういうプレッシャーをはね除けるために、努力はもちろん、できることは全部やって、試験に臨みたい、と誰もが思います。

神頼み・仏頼みもできることの一つです。

その試験を受ける人が、護摩祈祷を通して「よーーし!仏様にしっかりお願いしたし、後は自分がやるだけ!」と前向きな気持ちになり、不安を取り除いて安心を得られれば、試験において努力の成果を存分に発揮できるでしょう。これまで何人もの人がおかげを受けた、と言われるお寺やご本尊の評判が、力強い後押しになる場合もあります。

結果、願いごとが成就することにつながります。

もし、問題を見て、「げっ!予想と違った!」と思うだけで、頭が真っ白になり、できるものもできなくなるのが人間です。そして、目の前の現実を直視できず、「あの時、あぁしてたら良かった」と、今この瞬間にはまったく必要のない妄想にとらわれて、集中できなくなってしまいます。

イレギュラーなことが起こっても、自分は「幸運なんだ!」「仏様に護られているんだ!」とぶれずに強く思い続けられる拠り所があれば、実力が発揮できないことの方が稀です。

その拠り所となるのが、仏様に祈祷する、ということになります。

病気にしても、安産成就にしても、商売繁昌にしても、同じ考え方です。

「仏さまにしっかりお願いできたから、後は自分が頑張るだけ!」

簡単に書きましたが、そう思うことができるのは、実はよっぽど難しいことなんです。

大事なことなので、詳しく書きますね。


前提として、人は他人の考え方や思想を直接変えることはできません。

心が変化するには、その人自身の納得感や充足感が必要です。

そこに作用しているのは、「スッキリした」「気持ち良かった」という体験を通して感じた感覚が、まずあるでしょう。

加えて、碁石山が祈祷所となった400年以上昔から、何万人という人が祈祷し、おかげを受けてきた、という実績であったり。伝統仏教に対する個人個人の想いであったり。信頼している人や、一緒に行った人が、行って良かったと心から満足している様子だったり。さまざまです。

もし、護摩祈祷を通して得られる心の変化を、何か別の作業で代替できるなら、護摩祈祷は今日まで残っていないでしょうし、私自身、護摩祈祷を勧めることはしません。

テクノロジーがいくら進歩しても、デジタル機器でバーチャルな体験ができようとも、ここで得られる何かは、ここでしか得られないものだろう、と嘘偽りなく思うわけです。

そういう意味で、祈祷が与えてくれる最大の恩恵は「安心」です。

 

※ただし、護摩祈祷にはいくつか種類があって、上で説明したのは、息災法と呼ばれる護摩です。他に、増益・降伏・敬愛・鉤召といった種類の護摩もあり、「怨敵や魔障を退散させる」や「諸尊・善神を呼び寄せる」、といった特殊な祈祷法もあります。しかし、それらを修行で習うことはありませんでしたので、私は祈祷することができませんし、その必要もないだろうと思っています。

祈祷の恩恵を受けたことが無い人が祈祷に頼る必要はあるのか?

強固な意志を持って、自分を拠り所にして、自分を信じ、ぶれずに物事をやり遂げる人もいます。

生まれてこの方、神も仏も信じないし、頼ったこともない、俺は俺の実力でここまでやってきた!そう想う人は案外たくさん居ます。家でも学校でも仏教や宗教に触れる機会が乏しい今の時代ではこれからも増えていくでしょう。

それはそれで結構なことです。何も否定もしませんし、その自信が自分を支え、実力を発揮し、自らの幸せと周りの幸せを創出するものであれば、誰にも咎められることでもありません。

祈祷はその人にとって必要がない行為といえます。

ただし、物事が順風満帆で、幸運が重なったとしても、なぜか不安を抱え、心が渇いた状態にあるのが人間というものです。

傍から見たら幸せそのものなのに、本人の気持ちは真逆だったり。まだ起こっていない先のことに恐れを抱き、ネガティブな妄想にとらわれ、十分うまくいったことに後悔して・・・どうしてそんな心理に陥るのでしょう?

将来を想像して不安がるのは人の性とも言えます。

その悲観的な妄想を抱えている生物だから、人は絶滅しないで今日まで生きてこられたとも言えます。

と、同時に、その悲観的な妄想を抱えているが故に、有史以来、人間は宗教と共に生きてきました。

時代が変われど、国が違えど、民族が異なろうが、人は宗教と共に在りました。

 

あらゆる物事が順調にいっている人でも、

ある日突然、事故にあって命を落とす。

ある日突然、天災に巻き込まれて命を落とす。

ある日突然、予期せぬ病気にかかって身体が思うように動かなくなる。

そういう理不尽が、生きていると往々にして起こります。

どうしたら防げたのか?どこに不平を申し立てればいいのか?どうして自分に?

その問いに人間は答えることができません。

だから、人は宗教を必要としました。

だから、仏教は信仰されてきました。

淘汰される機会はいくらでもあったはずですが、それでも引き継いで、残されて、今日に至ります。

 

これまで、祈祷に頼ってこなかった人、神仏を必要としなかった人に、もし必要と思える不測の事態が起こったら、祈祷が役にたてる時が来るかもしれません。

いや、絶対に必要ない!と誓う人に、無理強いするつもりはありません。

しかし、信じてきたものが答えを出してくれなかった時に、人は脆いものです。自分で抱え込んで、心を患ったり、他人に厄災を転嫁したり、自死を選んでしまうようなことが残念ながら起こってしまいます。

非常にもどかしくおもいますが、祈祷したからといって他人を操ったり、洗脳したりすることはできません。その時、できることは祈祷ではなく、寄り添うことです。

 

個人的に思うことですが、仏様は、いつでもそこにあって、都合のいいときに、都合のいいように利用させていただくほどの懐の深さがあるように思います。

厳しいと言われる仏様もいらっしゃいますが、それは人の状態に合わせて、厳しくもなるし、優しくもなるのだろうと思います。

だから、人間でありがちな、「今まで蔑ろにしていたくせに、どの面下げてやってきた」みたいな扱いは、仏様はされません。

そんな人間の延長で、同じ傾向の想像のつくような存在であれば、寧ろ人間でいいわけです。仏様の存在理由がありません。

仏様の威を借りて、己を神格化して教祖的に振る舞う人や、仏教的なものはあるかもしれませんが、そういうものは、その個人の範疇を超える出来事に対応できないので早晩廃れるでしょう。

 

熟練のお遍路さんを見ていると、みなさん仏様との付き合い方がさまざまで面白いと思います。

それぞれの、さまざまな人生の中で、固有の経験があり、それに照らし合わせて信仰の仕方があり、祈祷の役割があります。

どれが正解で、どれが間違いだと、断定できるものではありません。

祈祷に、頼りたいと思ったら頼る。必要無いと思えばしない。

それでいいと思います。

よく言われる「こっちで祈祷したから、浮気はしてはいけない」は、そう思って、後ろめたい気持ちになるくらいなら、祈祷の本来の役割を果たせないので、しない方が良いと思います。

ただ、人間の延長で仏様をとらえすぎない方がいいとは思います。仏様がそれほど嫉妬深く、偏狭な人間によく似た習性の存在であれば、もはや人間でいいわけです。

 

お釈迦さまがおっしゃられた「諸行無常」と「盛者必衰」という真理。

世の中のものは常に変化し(諸行無常)、良いときもあれば悪いときもある(盛者必衰)を考えれば、人の心が変化することは自然であるし、状況によっては祈祷に頼る場合があってもいいと思います。

個人の心理は移ろいやすく、不安定なものだから、揺るぎないもの(仏)に頼りたくなるのが人間です。


祈祷される対象が知らなくても、祈祷する意味はあるのか?

孫の入試合格を祖母が祈祷する。

娘夫婦の健康を父親が祈祷する。

北朝鮮情勢がきな臭いので世界平和を祈祷する。

 

祈祷する人と、祈祷対象が異なる場合、祈祷の役割はどのようなものでしょう。

仏教では「縁」というものを大切にします。

縁は仏教のエッセンスとも言えます。

この世の中で、何ともつながっていない単独で存在するモノはありません

すべてのモノは、何かしらと結びついています。

たとえば、石があります。

その石は、大きな岩が削れた破片の一つで、長年波に打たれ、脆くなったとところに台風が来て、海に沈み、流され、魚が運び、浜に打ち上げられたところを、カラスが咥えて飛んできて、そこに在る。

たとえば、お寺で飼っている犬がいます。

その犬は、捨て犬でしたが母犬がいて父犬がいます。雨の日に近所の子に拾われて、可哀想と思う住職夫婦に飼われ、毎日散歩に連れられ、食事を提供され、躾され、犬小屋を設置され、ペットショップで買ってきた首輪と紐につながれ、たくさんの人に可愛がられ常光寺の犬として認知されています。

物質でも生物でも、あらゆるものは、何かしらとの関係性の上に存在しています。

それを縁といいます。

だから、何かが動けば、何かに影響を与えます。ただそこに在るだけでも影響し合います。

 

よく言われる先祖の数

私たちには必ず両親がいて、親それぞれにも祖父母がいて、10代遡れば2046人、20代遡れば209万人7150人、その先祖の1人でも欠ければ、私たちはこの世に存在しません。

そういう関係性=縁の元に私たちは存在しています。

また、「人は、あなたに出会って私になる」という言葉もあります。

私を私たらしめているのは、私ではなく、あなた。私という人格も存在も、あなた(を含む外部)との関係性の中で存在する、という縁の言葉です。

 

話を戻しますと、

誰かが誰かのために祈祷を行う、それは巡り巡ってその人にも作用する。

祖母が孫のために祈祷したことが、祖母から親に伝わり、親から孫に伝わり、直接的に「安心」を分け合う場合もあれば、

親が子のためを想って祈ることで、祈った親に「安心」が生まれ、祈祷した子は知らずとも、間接的に好影響を及ぼすこともあります。

そうしたわかりやすい例でなくても、

ただひたすら世界平和を祈祷する間、その人自身が誰も傷つけず、モノを壊さない時間を過ごすことで、世界平和に貢献していることもあります。

よその国の施政者の心を直接操作することはできない、しかし、戦争は相手がないと始まらないものなので、一方にその気がなければ起こりようのないものです。

それをお花畑の考え方、と評価する人もいるかもしれません。しかし、究極の正論に目を背けているだけです。

誰かが誰かのためを想って祈る、そうした尊い行為、時間はを否定する要素は何もありません。

けっして、マイナスを生み出す行為ではないのです。

最後に、私の好きな縁の話をします。

ある人が私を騙して100円を盗みました。私は誰が盗んだのかを疑い、別の誰かを騙して100円取り返しました。すると獲られた人も、別の誰かを騙して盗む負の連鎖が起こりました。たかが100円ですが、その連鎖は地球を一周して、世界中で騙し合いが起こり、盗みが横行する不穏な世の中になりました。

逆に、

ある人が私に100円くれました。私は少し幸せな気持ちになり、別の機会に友達に100円あげました。その友達も嬉しくなって、そのまた友達に100円あげました。たかが100円ですが、その連鎖は地球を一周して、世界中の人が少しハッピーで、他人を大切にし、自分のものを分け与える気持ちをもつ世の中になりました。

小説宝石に挿絵を載せてもらうことになりました

子供が生まれてから、絵を描くことが多くなりました。

特に長男は私に似て、熱中没頭タイプなので、黙々と塗り絵、黙々とお絵描きをすることがあります。

長女の方も、兄が大好きなので、そのやることなすこと一緒に関わりたいらしく、塗り絵も、お絵描きも3人でよくやります。

そんな子供たちのおかげで、実現したできごと。

絵を描く趣味は、幼少期からあったのですが、芸大に進むわけでもなく、ちゃんと習ったこともなく、大阪で社会人をしていた時に、チケット制の絵画教室に通ってはいましたが、チケットを残したまま通わなくなり、仕事が忙しくなって、疎遠になると行きづらくもなって、画材道具一式ロッカーに置いたままフェードアウトしました。

暗黒の過去というわけではないですが、後ろめたさを少し感じて、絵を描く趣味自体も疎遠になりました。

小豆島に来てからも、絵を描く機会がなかったわけではないですが、本当にチョロッと。せいぜい5分以内で描けるボリュームで。

子供が生まれてから、せっかく小豆島に住んでいるんだから、自然の中で遊びなさい、外に出て行けない時でも、何かしらアナログなことをやりなさい、と子供たちに圧力をかけ続けながら、その実「アナログ的なことって何だよ!?」と自分にツッコミながら、確たる信念があるわけでなく、盲目的にテレビ・スマホよりはマシという一方的な思い込みを頼りにして言ってました。

しかし、言うばかりで、子供に寄り添わないのはダメな父親の代表だろう、という想いもあったので、自分が楽しめて、子供たちにも経験させたい家遊びとして、心の中の重い扉をこじ開けて、お絵描き趣味が再び世に出てきました。

前置きが長くなりました。

そんな絵を描く趣味を思い出して、「女子へんろ」や「卒業遍路」など、主催者として関わるお遍路行事の地図を描くようになり、それが編集者の目にとまり、『小説宝石』にて挿絵を担当させてもらうことになりました。

びっくりな展開です。

ちゃんと原稿料もいただけるようで、イラストレーター坊主誕生です。なんか長いので画坊主です。画坊主慈空の誕生です。

慈空のinstagram

『小説宝石』に掲載する内容は、『体験ルポ 小豆島八十八か所巡り 内澤旬子』とある通り、作家内澤旬子さん自らが、小豆島八十八か所を歩き遍路して、その内容をエッセイにする、というモノです。

内澤さんは、現在小豆島に在住しており、島に移住してくる前に、碁石山に来られ、それ以来のお付き合いです。

その後、彼女の中でお遍路をしてみたい、という意欲が生まれ、それならば小豆島八十八か所霊場の案内する新書を作ろう!と出版社に企画を出すも敢えなくボツになるものの、遍路エッセイならOKとなり、私が遍路の手ほどきをさせていただき、実際に彼女が歩き始め、連載にいたる、という展開です。

単なる日記ではなく、世界中を旅して来た彼女なりの視点、また本文の中でも触れられていますが、佛女だったという過去を持つ経験から、小豆島の歩き遍路に何を感じるのか、とても興味深い内容で、これから毎号楽しみで仕方がありません。

私自身の挿絵は、お目汚しな部分もありますが、連載を重ねるうちに見られるものにしていきたいな、と思います。

全国の書店、どこに行っても取り扱いのある雑誌なので、是非お買い求めください。

<小説宝石2月号>

<小説宝石3月号>

内澤さんの作品はコチラ

<私も寄稿してます『おいでよ小豆島』>

<小豆島に移住した体験を書いた『漂うままに島に着き』>

<今もヤギを飼っているそうです『飼い喰い』>

<イラストが存分に登場して見ても楽しめる『世界屠畜紀行』>

雪の碁石山ってどんな感じ?

下界とは違う銀世界になります

関東に大寒波が来て、東京が大雪に見舞われるなど、今年は寒い日が多いです。

碁石山の標高は300mほどなので、低山には違いなのですが、冬の間は海風が強く吹くので、平地に比べて5度以上寒いことがよくあります。

本堂の手水鉢の水が白く分厚くなってくれば、いよいよ寒い証拠。

 

 

マイナス5度を超える日も多いです

氷点下5度を超える日が連日続くと、人の居る場所ではないように思います。

碁石山を含む小豆島の山岳霊場は、どこも辿り着くまでの傾斜がかなりキツいので、少し雪が降って、溶けずに残ってしまうと、滑って登れなくなってしまいます。

傾斜がキツいのでよく滑る

4WDの車重の重い車で、スノータイヤを履いていたら何でもないのでしょうが、小豆島で走っている車の大半は、背の高い軽四。私も例に漏れずノーマルタイヤの軽トラですので、自分が登れれば他の車も大丈夫だろう、という目安にしています。

今冬に入って「凍結してますのでご注意ください」という日が既に5日ほどになりました。小豆島は季候が良いと言えども山は別世界ですね。

凍結情報は、Facebookページで更新していますので、確認してください。

水だけで無く花も葉も固まります

凍結で困ることがもう一つ。

お供えの花や葉が凍ります。それ自体は保ちがよくなるので、悪いことではありません。問題は、水→氷の膨張によって、真鍮の花瓶が割れること。

そのため、雪国では冬の間は、水を抜いておくものですが、小豆島は温かい日もしばしばあるので、思い切って抜けません。そのせいで、そこが抜けた花瓶がいくつかあります。

雪が降ると、塩化カルシウムを撒いたり、溶けずに凍ったら、雪かきのような作業も発生するので、できるだけ降って欲しくないものですが、景色は特別なものがあります。

とてもフォトジェニックで、夢中でシャッターを切ってしまいます。

遠景に見える寒霞渓の山々も絶景。

雪が解けて、霧が出る様子や、霧が晴れていく様も見所です。

 

 

ただでさえ危ない鎖場はより危険に

陸地から湯気が出ているかの様です

小豆島最高峰の星ヶ城と清滝山

お参りには向かない日も多いですが、寒い日の合間の日は、空気が澄んで瀬戸内の多島美もよく見えますので、皆さま警戒し過ぎずに、お越し下さい。

 

 

初不動の日

仏様にはさまざま縁日というものがありますが、碁石山のご本尊「浪切不動明王」さまの縁日は28日です。

1年で一番最初の縁日である1月28日は「初不動」です。

小豆島では、昔から初不動参りというバスツアーがあって、碁石山を皮切りに小豆島霊場の「不動明王がご本尊の札所」をすべて巡る限定遍路が行われてきました。

バスツアーに限らず、お不動さまを信奉し、その日に必ず来るお遍路さんも何組かいらっしゃいます。

霊場開きの「初大師」の日に続き、この「初不動」が来ます。それ以外の仏様の縁日で「初〇〇」というのはなぜか聞きません。それだけお不動様という仏様は人気があるのでしょう。

ちなみに、小豆島霊場の「不動明王がご本尊の札所」を列挙すると・・・

02番 碁石山 山岳

09番 庚申堂

21番 清見寺

37番 明王寺

53番 本覚寺

72番 笠ヶ滝 山岳

75番 大聖寺

76番 金剛寺

81番 恵門ノ瀧 山岳

番外  藤原寺

の10ヶ所になります。

山岳霊場が3ヶ所もあるのは、やはり行場にはお不動様が奉られることが多かったのでしょうね。

 

不動明王ばかりを参拝するのですが、唱えるお経などは普通のお遍路を違いはありません。

ただ、不動真言はメジャーな仏様の中では一番長いので、声はたくさん出さざるを得ない1日になりそうです。

のうまく さーまんだー ばざら だん せんだ まかろしゃだ そわたや うんたらた かんまん

ちなみに不動真言には3種あり、上で紹介したものが慈救呪[じくのしゅ]。不動真言といったらコレという定番です。

のうまく さーまんだー ばざら だん かん

短いものが小呪[しょうしゅ]。

のうまく さらば たたぎゃてい びゃく さらば ぼっけい びゃく さらば たたらた せんだ まかろしゃだ けん ぎゃき ぎゃき さらば びきんなん うんたらた かんまん 

最後が火界呪[かかいのしゅ]と呼ばれ、唱え癖もあり、覚える難易度が高い真言です。

火界呪は、護摩祈祷する時に読まれることが多く、ベテランお遍路さんでも、お不動様好きでなければ知らない人が多いです。

ちなみに、真言覚えてないのでどうしよう・・・唱えないでおこうか・・・という場合は、

南無不動明王

でも、大丈夫です。仏様の前に「南無」をつければ真言を唱えるのと同義です。

意味は「不動明王様に最大限 帰依します」です。

帰依とは、「信奉し、最大限尊敬致します」というような意味ととらえてください。

今年は日曜日だったこともあって、大勢の方が参拝に来られました。
1年の決まった日に、決まった目的で、参拝する、ということは初不動に限らず、よくあることです。しかし、あらため考えると、だからこそ尊いものだな、と思います。

みなさん信心深いベテランの方が多いので、こちらがクドクド説明しなくてもよくご存じなのですが、毎年繰り返すことだからこそ、同じような話をして、その意味や功徳を再確認することが大事なのだな、と思います。
繰り返すから特別なんですよね。お参りって。

初大師の日は「島びらき法要」がありました

(写真提供 すべて藤原奈美さん)

毎年、1月21日は小豆島の「霊場開き」、いわゆる「島びらき」の日です。

21日は弘法大師の縁日で、1年の最初の縁日は「初大師」と呼ばれ、その日を境に、小豆島霊場の巡礼が活発に・本格的になっていく、というわけです。

「島びらき法要」の具体的な内容は、霊場会本院が側にある土庄港に、霊場寺院の住職と関係者が集合して、船で到着した最初のお遍路さんを迎え、土庄港〜霊場会本院に至る1㎞足らずの道のりを、共に練り歩くという行事です。「お迎え大師」と呼ばれる、いつも霊場会本院でお遍路さんを迎えられるお大師さまも、港まで出張して、御詠歌隊とお稚児さんも同行します。さらに今年は、高野山から「こうやくん」と、宗教舞踊を披露するお遍路団体も加わって、より一層盛大に行われました。

(般若心経で迎える住職の面々。手前の神輿がお迎え大師。奥のデカイのがこうやくん)

(大勢の御詠歌隊。島の人ばかり)

(船から降りてくるお遍路さん)

私も行列に加わり、赤い番傘をさしてお練りをしましたが、風の無い快晴で、みなさん和気藹々と素晴らしい「島びらき法要」になったと思います。

朝日新聞の取材を受けて、島びらきについてコメントを求められたので、次のようなことを答えました。

「賑やかに盛大に、霊場開きの日が迎えられて何よりです。この島びらき法要を見た人が、自分たちの住む場所には、遠方からお遍路さんが巡拝に来るような霊場があることを知り、御詠歌を聞き、舞踊を見ることで、有り難いという気持ちを起こしてもらえたら幸いです」

おそらく全然違うことを書かれていると思うのですが、この練り歩きはお遍路の入口の行事で、見て、触れて、良いな、と思っていただくことがとても大事です。だから、テレビで放映されることと新聞に載ってニュースになることはとても大事で、フォトジェニックになるように、坊さんも私語を慎み、左手でまっすぐ番傘を持ち、脇見をせずに歩きます。欲を言えば、もう少し写り映えする背景なり、ランドマークがあれば、全国から写真愛好家が集うのに、と思います。写真を撮る人はそれを人に見せて拡散しますから、無料で素晴らしい広報をしてくれますからね。

ちなみに、霊場開きの法要がいつから始まったのか?定かな記録が残っているのか知りませんが、大正2年に霊場会本院が土庄港近くにできてからだと思います。現在の場所に今の建物が建ったのが、その後のことで、戦後少なくなったお遍路さんをなんとか増やそうと、当時の霊場寺院住職たちが知恵を出し合い、少なくとも60年以上の歴史があります。

(2番目が私です)

(四国新聞の前を通って。道中歩道はあるものの、信号が多く、道幅も狭いのが難点)

(ようやく霊場会本院へ)

本院に到着してからは、遍路先達の方々は、2階で着座して法要の続きを。僧侶と共に行い、会長や町長の挨拶を受けます。

御詠歌やお稚児さんたちは、1階のお堂でお加持を受け、初大師の御守りを受け、御詠歌隊の皆さんは、大合唱で一曲奉納されます。個人的には、狭い空間に鳴り響くこの御詠歌が1番のハイライト。各地区・寺院で御詠歌の指導をされる先生達の集まりなので、それはそれは美しいハーモニーが響き渡ります。

霊場会の駐車場では、お餅と素麺のお接待もありました。皆さん帰られてから、ようやく一杯呼ばれましたが、こうやくんの中の人が1番大変だったと聞き納得。見えない視界で、あの大きな頭はかなり頑強につくられているのでとても重いはず。そして、まさか霊場会本院まで歩かされるとは・・・想像しただけでゾッとしました。来年はたぶん来てくれないでしょう。。。

法会が全て終わった後は、港近くの遍路宿「長栄堂」で、遍路団体の団体長の皆さんと霊場寺院住職たちで一席設け、霊場話に花を咲かせます。

途中で帰ったお寺さんがおり、空きができたので、久しぶりに参加させてもらいました。8年間碁石山に居るおかげで、出席していた団体長の全員の顔を知っていて、参拝中には軽い挨拶程度で終わってしまうところ、その場ではゆっくりお話を聞くことができました。昔の札所のこと。私の祖父・祖母を始め、建て替える前の札所や、安置されている仏さまの逸話など、知らないこともたくさん聞けてとても面白かった。

教えてくれた人は、それぞれ90オーバーの祖父母世代。話を聞いていると同級生の様。その世代で、頭も足腰もしっかりして昔話を語れる人が少なくなってきた中、貴重な時間だなぁ、としみじみ思いました。それと信仰を持っている人の強さを感じます。これは自戒を含めて、お坊さんの方がよっぽど見習わなくてはならないことだと思います。

新しいお遍路さんを開拓することが自分の使命だと思っているし、そこが自分が役に立てるポジションだと思っているけれど、今まで霊場を支えてくれてきた遍路団体長たちには、いつも最大限のリスペクトをもって迎えたいと、あらためて思いました。

またお逢いできますように。合掌

 

ちなみに「島開き」はありますが、「島仕舞い」はありません。12月21日は普通の縁日です。開きっぱなしの小豆島霊場です。めでたい(笑)

(すっかり明るくなった霊場会本院の1階お堂。お大師さまの表情も明るくなった様)

2018-01-19 | ブログ, 慈空のこと

未来の住職塾を受講しました

未来の住職塾 最初の講義

昨年の4月からおよそ一年間、といっても6回ほどの講義ですが、未来の住職塾という講座を受講しました。

名前のとおり、未来の住職を育てる塾です。お寺の住職・副住職、寺族・檀家総代・その他お寺に関わる人が対象の塾で、過去5年の実績があり、全国で先進的な活動をされているお寺の方々が先輩になります。例年は東京や大阪、名古屋、福岡といった大都市でしか開催されないところが、今年に限っては香川クラスもあったのもきっかけになりました。

 
内容としては、お寺を運営していくノウハウを学ぶ、という感じで、お寺離れ、仏教離れに加えて、さまざまな社会変化の多くがお寺に逆境の時代、お寺をどう存続させていくか。これまでどおりのやり方は通用しないよね、という前提の下に、リーダーシップをはじめ、マネージメントや財務といった要素を学び、実践していくものでした。
 
私自身、副住職という立場で、この塾に求めたものは、How toやアイデアではなく、自分の立ち位置の確認と、今やっていること・これからやろうとすることの、取捨、順番、重み付け、そして覚悟を決めることでした。
最後の「覚悟を決める」というのが1番メインで、住職塾の年会費は148,000円(税抜)で、税込みにすると約16万円のけっして安くはない、それだけの費用をかけたからにはそれなりのモノを持って帰らないと!と思わせる大きな投資です。
なので、もちろん毎回無遅刻無欠席で、善通寺まで船と車を乗り継いで、時に宿泊もして、通い通しました。

善通寺の大玄関のとなりにある”いろは会館”が会場でした

住職塾に通おうと思った直接の動機は、昨年、自坊の住職が急な入院で1ヶ月以上お寺を留守にしたからで、その時は「いよいよその時が来たか」と思ったものです。が、自分の覚悟もさることながら、いろいろ準備できていないことが多い、と感じました。その原因は自分でも重々わかっているのですが、副住職という立場に甘んじてきたなぁ、というのが痛感するところ。しっかりやるべきことと向き合わねばならない、と身に染みました。

住職塾の受講生は、浄土真宗の檀家寺の方が多い印象で、真言宗で、札所で、檀家収入がメインの檀家寺と、檀家以外の信者による祈祷収入がメインの信者寺という2つの要素を持つ自坊のシチュエーションは珍しい部類でした。しかし、そこは四国霊場のある香川クラス。四国八十八ヶ所の札所寺院が3人も居て、檀家がほぼゼロというお寺もあったので、意識共有は他のクラスに比べてまだマシでした。ただ、マシというだけで、カリキュラム自体は、檀家寺寄りで、檀家のニーズをとらえて、どのようにお寺を経営していくかが柱となっていたので、減りゆくお遍路さんをどうするか?少ない人手で、山寺の広い敷地をどう維持管理していくか?などの独自性を棚上げした状態で、課題やワークをこなさなければならないのは、大きな混乱の元でした。檀家寺と信者寺のアプローチは全然違うのに、「この人ら(講師陣)全然わかってへんのに、どう説明したものか」と難儀しました。最終的にはそれぞれ切り離されたものではなく、つながるものだと、自分なりに腑に落ちるものとなりましたが、途中で面倒くさいから「信者寺」の部分無視!とか、その逆もやりました。

毎回テーブルごとの共同作業があり、手と頭と口を使いました

よそのお寺さんの話を聞いて、面白いなぁと思ったことはたくさんあって、その大半は自分の想像が間違っていて、驚きと発見がありました。いくつか例を挙げると、本格的な年単位の修行がなく僧呂となった住職が、いかに檀家さんに対して威厳を保つことに苦慮しているか、とか。お寺の代替わりの仕方はさまざまで、世襲するにしても、未来への投資も過去からの遺産もさまざま。負の遺産があるからやりやすい場合もある、とか。そして、純粋な檀家寺の住職という立場は、将来に対する不安・焦りをよりダイレクトに感じていて、その危機感は札所寺院の比では無いこと。

長いお寺の歴史で、今の時代に住職を受けるのは、たまたまの巡り合わせであって、立場自体借り物でしかないから、所有物という感覚も、拡大志向も持たない、という自分の価値観が、意外なことに他のお寺さんとも共有できたこと、など。

いろんな人とチームを組んで、共通の課題をこなす内に、自分のことも、自坊のことも客観的に評価できて、アレもしたいコレもしなければ病に毒されてきた頭が、次第にスッキリしてきました。そして、副産物として危機感を共有する同志ができれば有り難いなぁ、とあまり期待していなかった部分は、短期間で成果物となりました。

振替で岡山クラスで受けたこともありました

影響を受けた人はさまざま居りましたが、まずは塾長の松本紹圭師の物腰の柔らかさ、フラットなスタンスが特筆でした。この2つはお坊さんに求められる要素でありながら、備わっていない人が多く、ちやほやされて勘違いしてつけ上がる人が多い中で、とても安心できました。もう一人の講師である井出悦郎氏の僧侶では無いゆえの容赦ない批評。「お寺の互助会のような結衆というシステムは、お寺側だけの理屈でまかり通っているけど、檀家からしたら対価に値しないサービスレベルの場合が多い」とか。「ニーズがなく数字も伴わないことで、お寺にとっては大事だと言われても無駄としか思わない」とか。お寺や仏教に関わりのない一般人の忌憚のない意見ではっとすることが多かった。他にもお坊さんでありながら月刊13万PVのブログを運営する三原貴嗣師や、同じ副住職で在家出身という立場ながら、安産祈願を軸にお寺のカラーを変えた村上哲済師等から多くの刺激をいただきました。
 
 
自分は怠け者で、外圧がなければ動かない&動けない人間であるけれど、彼らの前で言葉に出して、お寺の使命やビジョンを語ることは、覚悟と責任を奮い起こすには十分でした。
お寺のビジョンについては、まだ副住職の立場の自分が語る口を持たないですが、自分が常光寺、碁石山にいる理由=使命についてはここで公言しておこうと思います。

会場の一つだった最上稲荷

私が考えるお寺の存在理由とは、”そこに住む人と関わる人に安心と安らぎを提供する存在でなければならない”と思います。
仏教的にどうだ、縁起はこうだ、という要素はありますが、そもそも仏教が日本に伝来して広く普及した理由、お寺の開祖が、その場所にお寺を開いた理由を紐解けば、そこに住む人たちのために、お寺が必要だと考えたためです。なぜ必要かと言えば、困っていたから。何に困っていたか?というと、悩み苦しみを解決できないでいたから。だから仏教の教義が役に立ち、それを説くお寺と住職に存在価値があったわけです。そのことを端的にまとめると、安心と安らぎを提供するためにお寺は在った、わけです。
 
そこから導き出した常光寺の使命は、

 

小豆島に住む人と、小豆島を巡礼する人に、安心と安らぎを提供する存在。そのために、檀家・非檀家の垣根を越えて、老若男女さまざまな方との縁を大切にし、その声に耳を傾け、「私たちのお寺」と想ってくれる人を増やし、共にお寺を護持していく。財政面だけでなく、人的バックアップも強固に備えた経営基盤を持ち、いついかなる時も、変わらずそこにあって、求められる役割に応えられるよう準備しておく。

 

です。
今の時代、1年後、3年後がどうなっているかわかりません。10年後なんて見当も付きません。お金の価値も目まぐるしく変わっていくでしょう。しかし、社会環境がどう変化しても、人を軸にしたお寺の使命に忠実に従っていけば、常光寺を必要とし、大切に想ってくれる人によって、その価値は不変であると思います。その結果、お寺は存続することができ、先人が護持してきたように、私も次の世代にお寺を引き継ぐことができるでしょう。
 
未来の住職塾に行ってよかったか?学んだことが役になったか?
ひとまずは、お寺の使命を自信を持って明文化できたいことでYesです。
他にも諸々学んだことを、次は実践&実践で実証し、檀家さんや家族にも甲斐があった、と認められるようにしていきたいと思います。

未来の住職塾に興味のある方は、第7期の無料体験教室があります。

宿泊にはゲストハウスをよく利用しました

夜遅くまでやってくれるレンタカー屋は重宝しましたが途中で辞めてしまいました

うどんをよく食べました

2018-01-16 | お知らせ, ブログ

小豆島の年中行事「お日待ち会」

1月14日は毎年恒例の御日待ち会。通称「お日待ち」を常光寺で行いました。

小豆島の中ではお日待ちは、お寺で行う行事として行われます。夜に集まり、日の出を待って解散というのが本来の流れ。1・5.9月の14日から15日にかけて行うというのが一般的なようです。しかし、昨今、高齢者が多くなった地域では、夜に出ていく行事は人が集まらない等の理由で、15日の昼に開催するお寺もあります。

実際の内容としては、集まった人たちで飲食を共にし、夜通し楽しく語るというもので、宗教儀式ではありますが、そんなに畏まった風でもないのが特徴です。そして、お寺で行う割に、神様に対して行う宗教行事というのが面白いところでもあります。

小豆島では、仏と神の境界がとても緩やかで、これは仏事だからお寺!これは神事だから神社!と杓子定規に分けられないものがたくさんあります。明治時代にあった、廃仏毀釈という神社の地位を高め、お寺から切り離していった運動は、離島である小豆島では、それほど大きな影響を与えず、神仏習合の名残が今でもそこかしこに残っています。そのためか、12月に行われた師走経をはじめ、なぜに坊さんがやるのだろう?と首を傾げるものが多いです。

なので、他の地域のことは存じませんが、お日待をお寺で行うのも、小豆島なら納得という感じがします。

常光寺のお日待は、日の仏である「日天[にってん]」さまを灌頂(仏の世界から呼んできて)し、ご本尊としてお経や供物を捧げ、その前で護摩祈祷を行って礼拝します。

薬師堂に日天さまの軸を奉り、その前で護摩祈祷します

日天尊は、仏教ではあまり馴染みの無い仏様ではありますが、太陽を司る仏様で、お日待には相応しい仏様だと言えます。ちなみに日天さまに対し、月天[がってん]さまも居て、小豆島では行われていませんが「月待ち」という行事ではご本尊として奉られることもあるようです。

護摩の後、本堂でもお勤めを行い、ここであらためて新年の挨拶を行います。年が明けて14日が経過しているわけですが、西日本では15日までが松の内と言われ、それまでは年神様が各家にいらっしゃる、として正月の範疇に入るとされます。
最近は、三が日明けると、正月気分もどことやらですが、だいたい新学期が始まる8日くらいまでなんとなく正月という感じで、年賀状も新年の挨拶として届き、それ以降は寒中見舞いみたいな空気があります。しかし、本来で言えば、15日まではしっかり正月なんですね。

集まった檀家さんの前で住職が新年の挨拶

仏事と挨拶の後は、本来の?お日待という感じで、食事やお酒が振る舞われます。そこで、出席された皆さんがそれぞれに語り合い、ふだんと変わらない会話だったり、旧交を温めるなり、を檀家という縁の中で行います。気心が知れた仲間同士、和気あいあいといった調子です。

しばらくしてビンゴゲームが始まり、地元企業さまからの協賛や、お寺で購入したものが振る舞われます。この景品が中々どうして素晴らしく、お米10kg、5kgを筆頭に、醤油佃煮の詰め合わせがもれなく全員分あります。以前、祖母が存命の折、お日待は、11月に碁石山で行う柴燈護摩に、檀家のみなさんが協力してくれた恩返しで、お寺からのお接待の意味もあるんよ、と言ってたのを思い出します。

新年早々に、お米をゲットできた人は、今年は良いことあるぞ!と喜び、一人では歩くのもままならない年配の方でも、手押し車に載せて、必ず持ち帰ります。それもできない人は、家族を呼ぶなり、近所の人の助けを借りて、それもまた和やかで良い感じです。

そういう時間と関係を提供できるお日待の価値は高いなーと思います。年々、夜出ていくのが大変で、参加者が減っている行事ですが、易きに流れることなく続けていきたいです。

子供たちもビンゴの手伝いをしました

小さなお子さんも来てくれました

ゲームなんだけど、みなさん真剣

同時ビンゴのお米争奪戦はジャンケンで決めます

勝つジャンケンも負けが勝ちのジャンケンも強い妻、代役でお米ゲット!

2018-01-15 | お知らせ, ブログ

とんどをやりました

毎年恒例のとんど。地域によっていろんな呼び方がありますが、小豆島は共通して”とんど”です。

本坊の常光寺がある小豆島町苗羽(のうま)空条(そらんじょ)地区のとんどは、14日 早朝6時開始でした。

小豆島の中でも、旧池田町エリアなど、開催されない地区もあるようです。二十四の瞳の映画村がある田ノ浦地区など、観光客向けに日中行う場所もあります。

そういう点で、苗羽のとんどは、地元に根ざしたごくスタンダードな風習と言えると思います。

とんどの準備は年始の日曜日に行われるので、出仕できないことが多いのですが、山を開けて、お遍路さんの動きがないことを確認して、下山して少し手伝うことができました。

どこもそうですが、準備をする地元民がみな高齢化して、そのノウハウを私たち若輩世代が継承しておかないと、あっという間に廃れてしまいます。

その場に居た若い衆が、ごく僅かなことを考えると、短い時間でも自分が手伝うことが大事だと思います。地区の活動は何事も。

 

備忘録的に、準備作業の流れを書くと

① まっすぐのシャンとした背の高い杉を確保する(これがとんどのサイズを決める)

② 付け木として、乾燥させた笹を用意しておく(トロ箱も用意する)

③ ある程度の太さの竹とバベを軽トラ3杯分くらい採ってくる(青い生木)

④ 杉を中心に据え、竹を3本支えに、そえぞれを番線縛って、骨組みを作り、その周辺をバベの枝や竹で補強する。

⑤ 周辺は、枝打ちした竹で囲い、縄で縛る

⑥ 見栄えがするように、四方から枝や笹バランスを見て、形を整える

⑦ 正月飾りや古札を付けていく

⑧ 当日燃やし尽くす

生木や竹を入れるのは、パチパチ、パンパンと景気の良い音がなるから。とんどで燃えた灰は御利益があるとされ、風向きによって家に降り注ぐのも、掃除は大変なれど有り難いと感謝するべき。

年によって、お寺は灰まみれになったり、まったく落ちてこなかったりする。

今年は、同日の夜に「御日待ち」があるので、掃除が間に合うのか?がお寺の人間のもっぱらの懸念事項だった。

 

さて、迎えた当日の朝は、風も無く、寒すぎない、まさにとんど日和でした。

6時になって、「そろそろいこか〜」的な雰囲気で、みなが動き出し、ゆるやかに、徐に、点火され、見事な炎が上がりました。

毎年見るとんどなれど、なんかいつもメンバーで、知った顔の面々が、醸す雰囲気が心地良くて、自分もこの土地の一員にちょっとずつ成ってきてるんだな、というのを実感する。とんどに限らず、地域の年中行事の度に、それは思うというか、その土地に生きている実感というか、まぁ有り難いことです。

時間が経つにつれ、子供たちの姿も多くなり、お楽しみのお餅タイム。

各家それぞれに、餅の種類やサイズ、数、焼く網の形、土台の石、アルミホイル使う使わない、火箸、諸々が統一感無く、それでいて目的は同じというのがとても面白い。

大林家としては、正月の鏡餅が大量にあるので、最初何年かは大きな塊を大量に持ってきていたが、何もとんどで全て消費しなくてもいいことに気づいて、今年は小さく刻んだモノを極小量持ってくるようにしている。

あ、そうそう。とんどでお餅を食べるのは、とんどの炭で焼いたモノを口に入れるのもまた御利益があるとされるからで、餅に限らず、焼きみかんとかでも十分有り難い。餅さえ焼けば、子ども会の当番の方が、ぜんざいの汁を用意してくれており、それに入れれば、美味しい熱々のおしるこができあがる。

聞いた話によると、ぜんざいの汁が用意されず、各自餅を持ち帰って、家でおしるこにするところもあるらしいとか。それは面倒だし、その場で食べないと雰囲気でないやん!という苗羽の常識は、限られた特権だと知った。有り難い。

そんなわけで、今年も無事とんどを厳修することができ、無病息災の餅を家族で頬張ることができ、とんどの灰もほどほどにお寺に降り注いで、1年を安寧に乗り切ることができそうな気がしました。

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