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2018-05-16

【法話】坊主として気をつけている3つの誓い その2

高野山で尊敬する師僧に教えられたこと。

在家から仏門に入り感じたこと。

日々お遍路さん、檀家さんと接して感じたこと。

 

それらを自分の中に落とし込んで3つの誓い、即ち自分なりの「戒」を持っています。

 

  1. 仏様の前に立たない
  2. 仏様にしわ寄せをしない
  3. 暇な人でいる

今回はその2つめについて書きます。

仏様にしわ寄せをしない

これは、高野山に居るときにきつーく師僧に言われた言葉です。

その方は、「堕落した坊主ほど、この世の中に要らないものはない」とも言ってました。

そう言い切るためには己を律して、尊敬される振る舞いをしなければなりません。そう言い切る人に出会えただけでも坊主になった甲斐があったというものです。

さて、

「仏様にしわ寄せをしない」というのは、自分のことを優先して、仏様を蔑ろにする、ということです。

私が言われたシチュエーションを再現します。

高野山で修行している間、時間に関してはとてもシビアでした。1分で用意しろ、3分でかたづけろ、5分後に自室(寮の3階)で衣に着替えて戻って来い、自由時間はほとんど無く、トイレをゆっくりできることは夜くらいで、常に衣を振り乱しダッシュしているか、小走りでした。

そんな中で、自分が行法[ぎょうぼう](密教の修行をすること)する檀の仏具をピカピカに磨いておかねばなりません。

「仏具は信心を表す」

とされ、仏具が汚れていると、心も汚れている、と言われました。

真鍮でできた蝋燭立てや三鈷杵や金剛盤などの仏具は、2〜3日経てば、輝きを失ってきます。とは言え、坊さんでない人、高野山の修行僧でなければ、わからないくらいの微妙な劣化なんですが、修行道場の閉鎖された空間においては、「かなり汚れている=さぼっている」と思わせるものがありました。

そして言われるわけです。

「お前の信心はそんなものか!お前そんなんでええんか!」

殺し文句です。衆人環視の環境でそう言われるのはとても恥ずかしかった。

だから、時間をやりくりして仏具を磨くわけです。四度加行[しどけぎょう]という修行期間中は朝の行法が4時からでしたので、3時に起きて、磨くわけです。朝早いのは辛いけれど、夜は9時消灯厳守だったので、自由時間は朝しかありません。

夜9時に寝るなら朝3時に起きても、6時間寝てるから十分やん。と思うかもしれませんが、まぁ9時に寝ることはありませんし、休日があるわけでもないので、寝だめすることも適わず、ピカピカの仏具を維持するのは体力勝負。精神力との闘い。自分では限界と思えるまで頑張るのですが、身体も心も付いてきません。

自分は限界まで頑張った。その姿は仏様も見て下さっている。許してくれるよ。慈愛に満ち溢れた仏様なら。

と思います。

思わせてくれよ、と願います。

それで実際、天罰が下るわけではありません。仏様はとても優しい御方です。

しかし、自分で許す許されるを決めてしまうと、どこまででもゆるく、易きに流れてしまいます。

仏具を磨けていないばかりか、行法の後にある朝勤行や夕勤行でもウトウト居眠りをし出します。

自分の中で甘えを許せば歯止めが利きません。

仏様が許してくれるなら何でもアリです。

そして

「仏様にしわ寄せをするな。堕落した坊主になるな!」

怒られました。

磨く前の花瓶。あっという間に光沢を失うのは試されているのかと思います。

 


高野山の修行期間が終わって、娑婆に戻ってくると・・・

毎日なんだかんだ忙しい。時間が無い。お金が無い。身体の調子が悪い。子供が居るから。〇〇でしょうがない。

やらない理由はいつでもいくらでもあります。

だから、朝勤行をしなくてもいい。

だから、お寺を留守にしても仕方がない。

だから、仏具は磨く時間はない。

物事に優先順位をつけていくと、仏様のことを後回しにするのが、手っ取り早い。

仏様にしわ寄せをしても、仏様は怒らないし、お金も請求しないし、他人に文句も言われない。

一番後回しにしやすいんです。

 

しかし、そこがお坊さんと一般人の分かれ目だな、とも思います。

 

誤解を恐れず書くと、お坊さんって、仕事ではなく、ライフスタイルだと思います。

自分に戒をもって、それに従って、背筋を伸ばして生きる人がお坊さん。

葬儀をしたり、法事をしたりするのは、僧侶という職業で、それ自体は単なる仕事です。

けれど、生き方としてのお坊さんは、尊敬されるので、敬語を使われ、大切に扱われる。

お坊さんだから、葬儀をしてもらいたい。法事に来て話をして欲しい。となります。

 

仏様にしわ寄せをするか、しないか、それを決めるのは自分だけです。

言い換えれば、自分に甘いか?弱い自分に負ける人か?覚悟が無い奴か?が問われていると思います。

仏様にしわ寄せをしない。

この言葉は、修行道場を卒業してから、年々自分の中で大きくなってます。

人間、喉元過ぎればなんとやら。

修行を終えた1年目、2年目は、そんなことを思い出すまでもなく、やる気に満ちあふれて、仏様にために一生懸命です。

それが、3年、5年、8年と経ってくると、自然とやる気が漲ってくるなんてことはありません。自分で気にしておかないと、心に留めておかないと忘れてしまいます。

周りのお寺さんを見渡しても、「当時はそんなんだったなー」と修行期間は若い頃の一瞬の突風だったかのようで、そんな特別期間はあくまで修行の間だけの話。といった風です。

 

せっかく選んで飛び込んだ坊主の世界。

ただの仕事で終わらせるには失礼だし、もったいないとしみじみ思います。

綺麗なお花を入れておくのも大事ですね。

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