村本大輔独演会に行きました。
小豆島で、お笑いコンビ「ウーマンラッシュアワー」の村本大輔独演会が小部のかつや旅館であったので、行ってきました。
村本さんはあまりテレビには出ないけれど、年末の『THE MANZAI』というトップ漫才師たちがネタ見せをする番組には、かならず目玉出演者として登場しています。
小豆島という人口の少ない場所に、村本さんを呼んできた有志の人に大感謝です。
その有志の人というのは、よそから島に移住した女性なんですが、都会から島にやってくる人の中には、ユニークな価値観・感覚を持っている人がいて、この独演会を引っ張ってきてくれるなんて、ほんと面白い島。機会が多い島。と思ってしまいます。
タイミングが悪いことに、独演会が開催された8月11日の前日に、会場である土庄町公民館の母体である土庄町民に、新型コロナ陽性者が出たので、町が所有する全ての施設の利用が中止になりました。
前日にドタキャンされたら、主催者は、てんやわんやですが、小部のかつや旅館さんが受けてくれた、ということで本当に有り難いです。
ちなみにかつや旅館さんも、土庄町なので、民間はリスクをとって、できる限りの努力はしています。
さて、独演会についての内容についてアレコレ書くのは、これから行く人の楽しみを阻害されることになるし、その面白さを文章で表現できる能力もないので、印象に残ったことを2点ほど書きます。
芸人はえらくなったらダメ
1点目が、村本さんがテレビに出なくなった理由で、言いたいことを言ってるとテレビに出られなくなった。自分のようにタブーを作らず原発のことや政治のことを言う人間が少ないのは、現状の地位を守りたい芸人ばかりだという指摘。
芸人はえらくなったら言いたいことが言えなくなる。
守るものができると言えないことが増える。
芸人はえらくなったらダメ。
よしもと芸人の総数は6000人いて、毎年2000人養成所に入所するらしいので、よしもと以外を含めると、売れっ子になるのがとっても大変なのが芸人。
売れたらその地位を守りたくなるし、芸が評価され、後輩がたくさんできると尊敬され、持て囃されて、えらくなってしまう。
だから、いつまでも持たざる者として、攻め続けるのは職業としての芸人ではなく、生き様としての芸人であると思います。
テレビに出ているほとんど全ての芸人が、今の地位を守りたいと思っているので、職業としての芸人ですね。だから、スポンサーの顔色を窺って言いたいこと言わない。
政治、宗教、原発、米軍基地、テレビにはネタにしてはいけないワード、話題にしてはいけないトピックが溢れています。
20年以上前の発言や行動まで遡られて、「こんな人間に〇〇をさせていいのか!」という自主警察が跋扈する社会では、ややこしいことは言わないに越したことがありません。
せっかく築き上げた地位を脅かすリスクは、徹底的に回避しなければなりません。
そんなわけで、笑いにすべき時事ネタなんかを言えない芸人ばかりで、話題にしないから、のさばる悪やおかしなことが放置されている現状に石を投げまくっているのが印象的でした。
坊さんの世界でもまったく同じことが言えて、角の立つことを言うと、その業界ではとかく生きにくい。
どんな坊さんでも、住職なったら、盲目的に尊敬されるところがあるので、その地位に安住するためには、変わったことを言わない方がいいし、新たなことに挑戦しないほうが無難です。
そんなわけで、予定調和なルーティンワークを繰り返し、今までどおりを踏襲しようとする坊主が多いんです。
職業としては坊主だけど、人間としては坊主頭の利己主義な人です。
願わくば、職業ではなく、ライフスタイルとしての坊主でありたい。
人間らしさを見せるのが英才教育
2点目は、
お父さんがうんこを漏らしてショックだったという話。あの威厳があって、かっこいいお父さんが・・・老いたらボケてうんこを漏らすなんて・・・
それはすなわち、かっこつけて、みっともない姿を見せてこなかった父親が悪い。
人間うんこも漏らすし、誰からも批難されない聖人君主のような人はいない。その真実を隠して見せないのは教育上よくないというネタ。
子供にかっこいいところも、かっこ悪いところもありのまま見せることが英才教育。
ちゃんとした大人ばかりになっちゃうと、あれもダメ、これもダメ、子供は息苦しくて、生き難い世の中になってしまう。
事実、今の日本は生き難い。
子供だけじゃなくて、大人もとっても生き難い。
30年前の私の体験では、
学校にはいろんな教師がいて、暴力を振るったり、依怙贔屓したり、パワハラしたり、セクハラしたり、酒臭かったり、阪神が負けると機嫌が悪かったり。
今では考えられない恥部・欠点だらけの教師もいる多種多様な大人に触れることができました。
大人になるための厳しさと、大人もできていないから許される甘さを学べた。
今は厳しさばかりを教えられて息苦しいし、できなかったときの自己否定が社会全体を覆っているようだ。
坊主の世界でも、聖人君主的な坊主像を求められる。
お坊さんは普通の人より物知りで、間違いないはず。凡人の悩みを超越した、高尚な価値観を持っているはず。
そう思っている人がいるかもしれないけど、高々1年や3年、修行道場で修行したところで、特別な知識や智慧は体得できません。
場合によっては、数週間の座学で坊主の免状をもらえる宗派もあるので、坊さんだから特別なスキルがあるなんて妄想でしかないわけです。
でも、いろいろ聞かれるし、知ってるものだと思われているから、その期待を裏切らないために、えらそげな坊主像を演じてしまうんです。
知らないことを、知ったげに言うのは害悪でしかないと思いますが、「わからない」と正直に言えない坊主はめちゃ多い。
実際やってないことをやってます体で話す坊主、精進と言いつつタバコを吸い、酒を飲み、ギャンブルに没頭し、女を侍らす坊主。けっこういます。
知らないことを知らない、と言い、やらないといけないことをやってる風ではなく、拙くても行動し続ける人でありたい。
他にも面白いネタはたくさんあったけど、私に刺さったのは上記2つが大きかったです。
やっぱライブいいね。コロナ禍はやく終わってくれぃ。