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2016-01-08

坊主と僧侶について思うこと

坊主と僧侶って何が違うのでしょう?

 

坊主は、坊主頭と呼ばれるくらい一般的な名称なので、坊主の野球選手、坊主の学生、坊主の女の子・・・など、いろんな坊主があります。

なので、姿形としての坊主とそれ以外の坊主を分けるために、坊主=坊さんという呼び方で考えたいと思います。

坊さんは、坊さんらしい、坊さんらしくない、坊さんのくせに、さすがお坊さん・・・など、その人の人柄や性質に対しての呼び名であるように思います。

 

比して、僧侶はお経をあげて、お葬式や法事のお勤めをする人という感じです。

 

デジタル大辞泉によると

僧侶;出家して仏道を修行する人。また、その集団。僧徒。僧。

だそうです。

Wikipediaでは

(そう)は三宝の1つで、本来は「仏教の戒律を守る、男性の出家者である比丘、女性の出家者である比丘尼(びくに)の集団」である、「僧伽」(そうぎゃ、梵: संघ, saṃgha, サンガ)のこと。今日では、「僧伽に属する人々」の意である「僧侶」が転じて、個人を「僧」と呼ぶことが多いが、原義として、僧とは戒師により親しく具足戒(波羅提木叉)を授けられ、これを守る出家修行者たちの集団そのものを、集合的に指す。

僧と僧侶を分けていて、僧侶は僧の複数形のような扱いですね。

 

他にもあれこれ書いていますが、小難しい定義と、一般人の感覚が一致しないと思いますので、より端的に言って、

僧侶は出家した人

という認識でいいと思います。

出家とは、難しいことでも何でもなく、得度式という儀式を受けるだけです。なので、小学生でも幼稚園児でもなれます。

誰でも簡単に僧侶になれてしまうので、僧侶=坊さんらしい人という認識は当てはまらないことが多いと思います。

そこに修行や努力といった要素は伴いません。

坊主頭でなくても、金髪リーゼントでも、お経がちゃんと読めなくても、僧侶は僧侶で、個人の能力や人間性とは直接関係のない肩書・資格に過ぎない、と言えます。

なので、大事なのは、坊さんとしてどうあるか。

坊さんは僧呂に限らない(主観です)

私は常々、僧侶ではないけど、坊さんっぽいなぁ、という人がいると思っています。

代表的には、イチロー選手や元阪神の金本選手のように、野球選手という職でありながら、己にストイックで自分ルールに従って生きる人、がそうです。

この自分ルールは、仏教でいう戒律に近いものがあると思います。

自分に戒を持つ人。戒をもって自分を律して生きている人。たとえ僧侶ではなくても、立派な坊さんだと思います。

そういう人に憧れ、尊敬します。

 

サラリーマン時代は、背広を着た隠れ坊さんに会うことはまずありませんでした。

みんな多かれ少なかれ物欲・私欲の権化で、我がの怠惰を貪っては、金と名声が評価の基準でした。

自分を律するものがないので、あっちにフラフラ、こっちにフラフラ、得する方、楽な方、儲かる方に流されます。

もちろん、私もその中にどっぷり浸かって漂っていました。

高野山での修行中、堕落した僧侶にもたくさん遭いましたが、心の底から尊敬できる坊さんにも逢えました。

こういう人はサラリーマン時代には出会えなかったなぁ。

こういう人になりたいなぁ。

こういう歳のとりかたしたいなぁ。

そんな風に思えるサンプルに出逢えただけで、坊さんの世界に脚を踏み入れて良かったと思います。

 

そんなわけで、私の中での坊主と僧侶の定義は・・・

坊主:自分に戒を持つ人。戒をもって自分を律して生きている人

僧侶:単なる職業、資格

と考えています。

僧侶としてのスキル・技術を磨くことも大事だとは思いますが、坊主としてどうあるべきかにより重きをおいて生きていきたいと思います。

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