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2016-01-10

地産地消の本当の意味

今年は松ぼっくりのアタリ年なのでしょうか?

大きく見事なものがゴロゴロ。見上げればまだまだ一杯落ちてきそうな予備軍がたくさん控えています。毎年こんなにたくさんあったかな?暖冬のせいかもしれません。

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碁石山にいたる林道(車道)の途中にある大王松

正月が近年稀にみる温かさだったので、異常気象だ!と各地でいろんな影響が出ているようですが、そのお陰は悪いことばかりに作用してはいないようです。

まず、今年のミカンはめちゃくちゃ甘くて美味しかった。しかもたくさん採れて、たくさんいただきました。その辺のミカン畑のほったらかしミカンが、高級なハウスミカンより美味しかったのは、暖冬のお陰ですね。

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仏教の考え方で、物事にしても、物質そのものにしても、たった一つで完結しているものはありません。

必ず何かしらの影響を受け、何かしらに影響を及ぼしています。季節が寒ければ、紅葉が綺麗になり、温かければ、干し柿でさえもカビてきます。紅葉が綺麗であれば、見物人が増え、観光地が潤い、土産物屋が流行り、経済が活性します。物事は連鎖していきます。干し柿も、干してもカビてしまうなら、畑に肥料として蒔いたり、収穫しないで放置したりします。すると、鳥や微生物が喜び、小豆島では害獣とされるイノシシ、鹿、猿らも喜ぶでしょう。その恩恵によって、餌が満たされた彼らが畑を荒らすことが減るかもしれません。物質も互いに影響し合っています。

日本という国は、四季折々変化に富んだ自然の影響を受ける土地なので、自然環境の変化に人間が合わせることが昔から巧みです。地震などの天災にしても、起こってしまったものはしょうがない、今できることを考えようと思う人が、おそらく他の国の人に比べると圧倒的に多いように思います。

私はこうした流れに身を任せるスタンスが好きです。それをせき止めて、こう有るべき!というべき論を振りかざして、流れに逆行するような行為はしない方がいいと考えます。必ず別のどこかに歪みが生まれます。

 

地産地消という言葉があり、今はそれがビジネスと連動する考えのように定着していますが、本来はそれだけの意味ではなく・・・

たとえば、

寒いと大根が甘い

ということがあります。今年は暖冬だったので、地元で採れる大根が辛くて、美味しくなかった。と言う人がいるとします。でも、その辛い大根は、単に辛いから不味い、のではなく、その土地で温かい季候に合わせた成分も含有しているから、その環境の下で食べると美味しいと思えることがあります。

私たちはテレビやメディアの影響を受けすぎて、大根は甘いのが美味しい。酸っぱいミカンより甘いミカンの方が良い。などとすり込まれていることが多分にあります。それだけでなく、形が悪いものは食べない、とか、より赤いものが上等だ、とか、ここよりあそこの方が高級だ、とお取り寄せして季節外れなものを食べることに抵抗がありません。

でも、そうした思い込みがなかった昔の人は、地元の旬のものを、その時季その時季に合わせて、ちょうど良いときにいただくことが美味しいという価値観だったように思います。

「滋味豊かな」「滋味深い」という言葉は、今ではトンと使われなくなりましたが、ただ美味しいという肉体的な感覚だけでなく、精神的にも満たされる要素をひっくるめて、味わい深いという意味で、これこそが地産地消の醍醐味です。決して、ビジネス臭のする地域活性とか、食べて応援、が本来の目的ではないはずです。

自然に身を任せて、旬なものを、その土地にあった食べ方で、いただくことに喜びを感じたいものですね。

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大きな松ぼっくりに最大級の三鈷の松も発見してなんか嬉しいな。

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