toggle
2016-01-17

大般若法会

「大般若法会」読めますか?

「だいはんにゃほうえ」と読みます。

仏教の言葉とか、意味とか難しいものが多いですね。

特に、勤め人でふだんお寺との関わりが薄い若い世代にとって、仏教はとてもわかりにくいものだと思います。

お寺に行って、坊さんが南無南無拝むのは、いったい何をしているのだろう?何の意味があるのだろう?とよく聞かれます。

そんなことを言うヤツは、知識がない、常識が無い、と思われるかもしれませんが、かく言う私がそうでしたので、何も恥ずかしいことはないと思います。当たり前の疑問です。

なので、当時の私でもわかるように簡単に説明すると、読経は経典に書かれている仏様の教えを、修行した僧侶が声を上げて唱えることで、仏様による直接の説法となり有り難い御利益を授かる、という意味があります。たとえ、その意味がわからなくても(日本語では無いことがほとんどなのでわからなくて当然です)、聞くだけで十分意味があると。

vsco-photo-1

これだけ聞いて「なるほどそうなのか!わかった!!」となった人は、極めて珍しい感覚の持ち主だと思います。

「ふーんそうなん・・・あたしには関係ないわ」、というのが普通の感覚でしょう。

なぜなら心が開かれず、求めていない状態では、何か新しいことが入ったり、変化する余地など無いからです。

人が感動するときは、よほど心が動いている状態で、外的要因によってそれを起こす場合は、よほどの衝撃を与えねばなりません。

お坊さんの話が面白くて、ためになったわー、有り難かったわーと思う人は、既に自分がそれを求め、心を解放しれている状態だからです。

心が固く閉ざされている人に対して、大きな外的衝撃となり得るものは、やはり体験を通して得たものだと思います。

頭ではなく、身体で感じるわかりやすさは、よりダイレクトに入ってきやすいので、私が歩き遍路が好きなのもその理由の一つです。小難しいことを言わなくても、体験を通して、参拝することの意味であるとか、読経することの気持ち良さであるとか、仏の教えに通じる入口が広く開かれています。

お遍路した先の札所で護摩祈祷をするのも、そうした体感のわかりやすさを求めるからですね。護摩は、火を焚いて祈りを捧げる特別な空間を作り出すことで、被験者を完全に日常から切り離し、シラフではいられない強い外的衝撃を与えてくれます。

DSC_8837-2

作法は違いますが、大般若もそうした体験を通してわかりやすい祈りの一つです。

 

そう、今回は大般若の話です。

毎度、前置きが非常に長くなるのは、私がくどい人間である、というのも否めませんが、ちゃんと理解するためには、前提を押さえておかないとミスリードしてもったいない、と思う老婆心からです。

大般若法会は、略して大般若と呼ばれます。

大般若をざっくり説明すると、(ふだん大人しい)僧侶が大声で

DSC_8846-2

「だーいはんにゃぁぁぁぁぁ!!!」

と叫びながら、経典をバラバラと大きく広げて読み、読み終わると机やら畳やらにバンッ!と叩きつけて(経典が傷むのでしない人や宗派もあり)、次の巻を読むという流れです。

その経典をバラバラと流し読みするのを転読(てんどく)と言い、それによって起こる風は「般若の梵風(ぼんぷう)」と呼ばれ、受けると般若菩薩の功徳があるとされます。

予備知識がなく、その場にいたらビックリすると思います。大般若経典は600巻もあるので、全部転読するには相当な数の僧侶が必要です。独りですることはまずありません。大人数で行うから大音響になり、ビックリします。

そして、大きな経典で、肩や背中を叩かれて仏様の力を授かります。

DSC_8870-2_b

どうですか?わかりやすいでしょう。

 

大般若はエネルギッシュで、直接的なお勤めなので、誰にとっても刺激的です。

恐いもの見たさで見学だけしに来た人も、叩いてもらえるなら叩いてもらいたい、という心理が働くと思います。

仏教やお寺に馴染みのない人には、本来の意味とか、まずはこうあるべきとか、そういう座学はまず置いておいて、見てわかりやすい&体感できる祈りが効果的なので、そういう活動こそ多めにやっていきたいです。

幸い、15日に、片城地区(近所)の極楽寺さんが、御日待ちの法会として大般若をしてくれたので、出仕して叫ぶ機会に恵まれました。

30代、40代の若手のお寺さんばかりが、10人集まって大合唱したので、聞いてる方もやっている方も、気持ち良かったと思います。私は気持ち良かったです。

小豆島という田舎の離島ですが、高野山や善通寺で本格的な修行をされた坊さんばかりだったので、練り込まれた声がピターッと合って、本山にも負けないとても良い法会になったと思います。

ウチの檀家さんにも、味わってもらう機会をいずれは作りたいなと思った大般若でした。

DSC_8854-2

関連記事
Comment





Comment