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2017-11-16

熟練お遍路さんでも、観光客でも、通じ合う感覚

今年の小豆島は紅葉が早くて、しかも例年より綺麗な様子です。

碁石山の楓も、今年は色づく前に散り始め、イマイチだなぁと思っていましたが、この数日であっという間に真っ赤に染まって美しく見えます。

そんな紅葉シーズンにはよくあることなのですが・・・

「大きな病を患い、もうお参りできないと思いましたが、また来ることができました」

という信心深い熟練のお遍路さんが来られた直ぐ後に、

「わぁ、何ここ洞窟じゃん。すごーい!」

とカメラをぶら下げて、きゃっきゃっ言いながら、本堂にやってくる観光の方。

お寺とは、天皇と乞食の両極の方が来られる場所、と師僧から教わったことがありますが、熟練お遍路と、一見観光客、という両極が来るのも、またお寺というものです。

わかっていても、交互に来られると、こちらも頭と口がついていかないものですが、面白いことに共通点があります。

「ここは、もともと単なる洞窟で、何も無かったところで、坐禅をしたり瞑想したり、そういう行者が修行地と使っていた場所です。そして、ここには、仏様がいらっしゃるに違いないと思う人が、本当に仏をお奉りして、お寺のようにしていったんですよ」

それほど言葉を尽くさなくても、場の持っている力というか、独特の雰囲気がそうさせるんでしょう。みなさん、一様に、何か自分より上の存在があるかのように感じ、自然と手を合わせられます。

その姿だけ見れば、共通して同じ立ち振る舞いになります。

日本人の精神性というのか、知らず知らず培われた宗教観というのか、何かよくわからないものでつながっているようです。

≪今年の四方指から寒霞渓の紅葉≫

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